2021年5月31日月曜日

独立・解放・幸福

 トランプ氏が白人至上主義を擁護するような発言から、アメリカの価値観に合わないと批判されたり、安倍首相は「価値観を共有する…」と連呼したりと、何かと各国・各国間の価値観、その違いが話題となっているように感じます。もとより、ベトナム人材を活かし・育てる難しさも日本とベトナムの価値観の違いによるところが多いのですが、あらためてベトナムを代表する「独立・解放・幸福」から、日本とベトナムの価値観の違いを見てみたいと思います。

□ 「独立・解放・幸福」
 普段は気にもされないかと思いますが、「Doc lap(独立)- Tu do(解放)- Hanh phuc(幸福)」は全てのベトナムの公式文書の右上に記載された、ホーチミン思想の根幹を表す言葉です。日本で言えば、「国民主権 – 平和主義 - 基本的人権の尊重」にも相当するものでしょうか。
 ベトナムがホーチミン思想によって立つことは、2013年の憲法改正以前は前文にても謳われおり、2013年憲法では前文からは見当たらなくなったものの、依然として憲法文書の右上には「独立・解放・幸福」が掲げられており、第4条にて、ベトナム共産党のよって立つ思想として記載されています。
 ホーチミン思想の教育資料によれば、概略ではこの「独立・解放・幸福」は以下のように説明されています。
 「ホーチミン思想は包括的な思想体系で、ベトナムの革命に向けた本質的な課題に対する深い示唆である。それは、“国家としての独立、階級からの解放、人民の解放を指す”。革命に尽くしたホーチミンの人生と、ベトナムの独立・解放に向けた彼の願いは、“誰もが幸福で、衣食に足り、教育された人々”をもたらす」
 2013年憲法の前文においては、「富民、強国、民主、公平、文明」が憲法の目的とされ、ホーチミン思想を国全体の根幹思想としては捉えなくなったように窺えますが、2005年教育法は、ホーチミン思想を基礎に置くとされており、「Doc lap(独立)- Tu do(解放)- Hanh phuc(幸福)」は今しばらくはベトナムの中心的な価値観のままでいるものと思われます。

□ 「解放」の誤解が過剰な自尊心を生み、「幸福」は権利であるとの誤解を生む?
 ベトナムの独立戦争は、フランス・アメリカの傀儡政権から国を取り戻すという革命戦争であり、ホーチミン氏が被支配層の労働者・農民を決起し、また独立後に分断された民衆の意思統一を図るべく、独立・解放・幸福を旗頭としたことには頷けます。しかしながら、特に「解放」と「幸福」を革命思想的な理解のまま、ドイモイを経て市場開放・近代化を目指す今日にあてはめると、やや不協和音が生じそうです。
 「独立」:ご承知のとおり、ベトナムには軍があり、徴兵制があります。また、国家常務委員会においては有事の際の総動員または局地動員の決定を下す権限があると憲法74条に定められています。長く続いた他国からの支配に対する強い独立堅持の意思は続いています。
 「解放」:ホーチミン思想の中では「階級からの解放」と「人民の解放」という2つの解放が示されています。確かに、残業時間上限の拡大や定年年齢延長への国民からの強い反対に政府が決定を延期するなど、労働・農民層が社会の中心であるという価値観の表れが窺えます。また、「私の決意・決断を誰も止めることはできない!」という声をベトナム人スタッフからまま耳にします。「何びとも自分を批評・批判・抑制することはできず、自分の道は自分で決める」といった人民解放の表れでしょうか。ともすれば、傲慢で人の意見に耳を貸さず、自身の行動が他人を傷つけることも意に介さないベトナム人材も見かけます。
 「幸福」:やっかいなのが、独立・解放の結果として、「誰もが幸福で、衣食に足り、教育された人々」をもたらすと説明されている点でしょう。「仕事を依頼すると、成果を出す前に報酬を要求する。毎年昇給するのが当たり前だと思っている」というのも良く耳にする話です。独立・解放を成し遂げた今日においても、独立・解放を堅持する限り、幸福(衣食や教育)は“与えられる”ものだと曲解している人がいるように思えます。

□ 異なる価値観を超えて、御社の価値観を打ち立てる
 異なる歴史を持つ日本とベトナムは、自ずと根底にある価値観は異なりますが、革新や発展・成長を求めるなどは、互いの価値観とも矛盾せず共有できるものです。他国民の価値観を否定するような価値観を持った会社はないかと思います。価値観の違いを認識したうえで、一方に偏ることがないよう、各社独自の第3の価値観を打ち立てたいものです。 一方で、行き過ぎた「解放・幸福」の価値観を持ったベトナム人材に巡り合うことも良くあります。こうした人たちは会社の価値観を差し置いて、自身の価値観で行動することが多いため、採用時には職務経験やスキルのみならず、態度や考え方などの診断もされることをお勧めします。

2021年5月24日月曜日

人はいるが、良い人がいないのが悩みどころ

 2009年頃には「1,000人募集しても40人しか集まらなかった」といった超売り手市場の状況もありましたが、直近は採用募集をかければ、それなりに人が集まるように労働市場の需給バランスが取れるようになってきました。しかしながら、離職者数の多さに比べ、採用時にはなかなか良い人が見つからないのが実情で、ベトナムには「人はいれど、良い人はいない」のではと頭を痛めてしまいます。

□ 年齢や経験を重視する落とし穴
 そんな中、ともあれ亀の甲より年の功、社会経験があればきっと会社のキーマンになってくれるだろうとの期待からでしょうか。日本でいう油の乗った40代以降を採用される会社が特に立ち上げ期に見られます。
 しかしながら、ともするとそうした方々はマルクス・レーニン主義が脳裏に刻み込まれ、先進国的な考え方についていけない、不正に手を染めやすい人材であるケースもまま見られます。
 アメリカからの経済制裁を解除に伴い、ベトナムへ外資が参入し始めたのが1994年。45歳以降のベトナム人材の大半はベトナム国営企業等で洗礼を受けた方々となります。日本企業が本格的に進出を始めたのが2006年。社会人になってより10年程度日本企業で経験を積んだ人はまだわずかです。ベトナムの教育法がやや近代化されたのが2005年。革命思想から離れた道徳教育がされてきた人たちは、まだ18歳以下というのがベトナムの人材状況です。

□ 更なる若手人材に期待し、育てる環境つくりを進めましょう
 各社が期待する「良い人材」とは、1.腕に覚えがあり、2.頭が冴え、3.人格者である人材かと思います。しかしながらそうした人材が市場に十分供給されるまでには、あと15年は必要そうです。全てが揃わないことを前提に、要員・採用計画を考える必要がありそうです。

1) 空席を埋めるための中途採用の高値掴みは避けたい
 核となるポジションの人材が突然離職して、慌てて採用を迫られるケースがままあります。そんな状況下では、飾られた経歴書の候補者を高い希望給与でついつい採用してしまいがちです。しかしながら蓋を開けると、能力もさほどではなく、次なる転職に浮足立っているジョブホッパーだったりすることもよくあることです。
 急な欠員が出たので仕方がない、との声も聞こえてきそうですが、案外離職予備軍は見つけられるものです。求職者の8割が求人サイトに登録するベトナムでは求職者を検索できる機能を持った求人サイトも多々あります。そんなサイトで御社名で検索をかければ離職予備軍が見当たります。また、慣れてくると、仕事の成果にムラがでる、帰省や私用による休暇が増えるなどの仕事ぶりから「あ。。この子辞めるな…」と感じ取ることもあります。

2) 内部昇進を優先したい
 急な欠員や、急ぎ体制を整えたいとの思いからか、特に管理者を中途採用で埋めていく傾向が伺えます。求職者も一段高い職位を目指して、特に立ち上げ期にある会社を好んで応募します(立ち上げ期は購買が増えるため、諸々うまみが多いというのもありますが)。しかしながら、「良い人材」の3点を兼ね備えた人材は各社も容易に手放すはずもなく、応募者の多くはいずれかに欠点がある人材と想定しておいた方が良いでしょう。
 ベトナムでは職務別の採用が一般的なことから、中途採用を中心とした方法に違和感を覚えるベトナム人材は少ないと思いますが、同時にベトナムでは一般的な「より高い職位を得るためには転職すべし」という風潮も会社に根付き、若手の昇進意欲をそいでしまうことにもなりかねません。最近は「上が詰まっていて昇進の余地がない」との声も受講生より良く耳にします。昇進候補生を育て、欠員時には内部昇進を中心に据えたいものです。

3) 若手を伸ばす環境つくり
 2005年の教育法の改訂も大きな一歩ですが、年々人材の質が高まってきているように思えます。
 視野の狭い上級管理者層の思考を変えたいと、教育のご依頼をいただくこともありますが、案外若手管理者層に成長の芽がある子が多くいたりすることもよくあることです。在籍している管理者層を前提に会社の将来図を描くと、潜在能力のある若手は去っていきます。
 改善活動やQC活動などの自主活動を通じて若手人材に成長と自己PRの場を与え、実力さえあれば上も追い越せるとの指針のもと、下からの突き上げを促すような人材経営をされても良いのではと感じます。
 弊社でも採用にはほとほと苦労をしていますが、総じて若い人の方が素直で飲み込みも早い傾向が伺えます。即戦力は喉から手が出るほど欲しいところですが若い人材を育てる環境つくりが意外に近道なのかも知れません。

2021年5月17日月曜日

ベトナム人材と教育

 ベトナム人材が報連相や主体的な活動に弱いと言うのは良く聞く話ですが、「学校におけるマスプロ教育」が原因と片づけられることにはやや違和感を覚えます。というのも、筆者の学生時代を思い出しても、学校で発表や討議の機会は少なく、先生が一方的に話した内容をノートに取り、ノートの内容で試験に臨むというのが普通の勉強スタイルだったからです。せっかくの機会と思い、ベトナムにおける教育の歴史を少しかじってみました。

□ ベトナムの歴史は従属の歴史
 ベトナムの歴史は「北属南進の歴史」と言われますが、紀元前より1850年代のフランス統治までの間、延べ約1000年、4度にわたり現中国(漢・隋・明)の支配下にありました。中国は統治の手段として仏教や道教とともに「忠君」の思想を中心に儒教を普及させたようです。
 フランスの植民地下においては、「フランスの行政・工場経営者・商業経営者そして植民者にとって従順な官吏、教師、通訳そして店員となる土民を訓練することである」との目的のもとに教育が行われ、おなじみのファン・ボイ・チャウをして、「亡国以前には良教育はなかったが、未だ奴隷牛馬たるの教育はなかった。亡国以後、良好の教育はもとよりフランス人の増加するところではないのみならず、日々に奴隷牛馬にする教育を強要したのである」と評される教育だったようです。しかしながらフランスの建設した教育施設はかなり数に限りがあり、一般人はほぼ無学であったようです。

□ ベトナムの独立と南北の統一

 第2次大戦の機を得て、ホー・チ・ミンが独立に向けて手本としたのが、ロシア革命にならったマルクス・レーニン主義です。ベトナムの独立・統一後も南部の思想改革のねらいも含め「ベトナムの教育制度は…優秀な社会主義労働者を養成し、将来の革命世代を育成することである」と1980年憲法にも革命思想は引き継がれていきます。ドイモイ後、1998年に教育法が成立します。「ベトナムの教育は、人民的、民族的、科学的、現代的な性格を持つ社会主義教育であり、マルクス・レーニン主義とホーチミン思想を基礎とする」とベトナムの市場経済化に向けた近代化が見られるようになります。その後2005年に教育法が改訂され、社会主義教育やマルクス・レーニン主義、ホーチミン思想に変わるところはありませんが、より実社会・経済ニーズへの適合が強調されるようになっています。

□ 教育は価値観共有の手段でもある。またれるベトナム人材の自主自立化
 日本でも1890年に発布された忠君愛国主義を旨とする教育勅語がその後の戦争への下地作りを進め、戦後1947年の教育基本法により、民主や平和・人類の福祉といった価値観を共有することとなったわけですが、言うまでもなく教育は世相を反映した価値観を国民が共有するための手段でもあります。
 日本から遅れること50年、ベトナムでは、市場経済を前提とした教育は1998年に始まり、教育の近代化は2005年から始まったともいえましょう。こうした点からは現代の日本人と近しい価値観を持った人材が社会で活躍するようになるには、後10~20年待つ必要があります。 


 話を戻し、日本人がなぜ報連相に長け、主体性を持った行動が取れるのかについては、私見ですが学生時代の部活動やサークル活動といった自治・集団活動が影響しているのではと感じています。絶対的な権限者がいない中で互いに意思疎通し合意形成をしていく活動が、他人を慮った各人の主体的な行動や思考の発達につながっていると思うのです。
 最近では、ベトナムでも学生の語学サークルやボランティア活動などの自治的な活動が見られるようになりました。これからのベトナム人材の主体性や説明力には大いに期待が持てます。

2021年5月10日月曜日

契約の詳細化と効力

 ベトナム居住の皆さんには、既に経験済みの方も多いと思いますが、ベトナム企業のサプライヤが契約を履行しないケースはよくあります。弊社事務所の引越に伴い、「金の切れ目を」迎えた業者があり、そうした業者からは「縁の切れ目」よろしく、敷金や担保金を返金しないという仕打ちを受けました。幸い被害は小さく収まったのですが、約束を重んじるいち日本人としては、なんとも腹立たしいベトナムの事業環境の現実を再認識させられました。

□ 約束は「朝令暮改」がベトナム流
 ベトナム要人とのアポイントに際してもよくある話ですが、面会の約束が直前になってキャンセルされることはよくあることです。多くのベトナム人材は短期視点で優先順位を考えるため、先回りして約束すればするほど、後で反故にされる可能性が高まります。そのためもあり、結婚式への要人の招待などは先方の優先順位検討の思考範囲に入る1週間前ほどに通知、何度も連絡して優先順位を高め、約束を取り付けます。
 どうにも、契約書についても同様の傾向がうかがえるようです。契約内容の履行を促すレターを送付すると、総じて「現状に即して考える。契約書は関係ない」と、日本人には理解のできない返答が返ってきます。
 日本人的には契約書は法的拘束力のある、契約当事者双方が権利・義務を負う約束事であるとの認識なのですが、ベトナム人的には「契約した時点では合意したが、今は状況が異なるので、契約書に従うのは不合理である」との理屈なのでしょう。

□ 契約書は最後の法的手段。証拠資料は正式資料として残す
 契約書に署名・捺印することの意義が理解されていないことは、甚だ未成熟な事業環境のベトナムの悲しい現実ですが、「契約書とは。。。」と演説をぶっても、ベトナム企業に契約の履行は期待できません。もとより、当事者の一方が契約書に従わない場合は、裁判所や仲裁所の判断を仰がなければ、契約書に強制力はありません。
 「外国企業とは綿密な契約書を作るべし」というのは多くの方が既に日本にて学んでいる常識ではありますが、残念ながら緻密な契約書を作れば、紛争が防げるというものではなく、緻密な契約書はいざ裁判や仲裁となった段になって役に立つ、頼みの綱です。また紛争解決が最終的には裁判や仲裁によらざるを得ないことを鑑み、契約履行に関する相手方とのやり取りはできるだけ文書で取り交わし、証拠書類として残しておくことが必要です。公式文書の書き方のわからないベトナム企業は担当ベトナム人の携帯に直接電話をして、罵声を浴びせ、脅すこともありますので、通話内容を録音する準備もしておくべきでしょう。

□ 生じうる紛争を想定して契約書を作る
 まだまだ裁判や仲裁が紛争解決の手段として一般的でないベトナムでは、一般の事務スタッフは契約書の意義も理解していないことが多くあります。既に十分な様式が容易されていれば幸いですが、様式を一から作らせると、「物品Aをxx個、xx日までに納品する」といった注文書のような契約書ができてきます。
 契約書が意味をなさない現実を知るベトナム人材には、手の込んだ契約書を作ることを面倒がる節もありますが、もとより契約書は紛争の早期解決を目的として作るものと理解を新たにし、「もし違う部品が納品されたら。。。」「もし数量不足が生じたら。。。」「もし納期遅延が起きたら。。。」と、いわゆるWhat if分析を駆使して契約書を作ることを進めたいものです。
 ベトナム企業が契約書を法的拘束力のある合意事項を表す書類だと理解し、尊重することが理想ですが、残念ながら現状は、まだ外国企業に取って十分に仕事がしやすい事業環境には至っていません。日本のような少額裁判制度や行政による指導を進め、いち早く外国企業が安心してベトナム企業と仕事ができるような環境が整うことを期待します。

2021年5月3日月曜日

目的と目標

 弊社のベトナム人材への指導にあたって、筆者が一番多用している質問は「目的は何?(Mục dich la gi?)」でしょうか。新任赴任者向けのセミナーにて、「仕事の目的を念頭に作業をする」といった話を披露したところ、セミナーにオブザーバ参加していたベトナム人から、「依頼者に失礼になるので、ベトナム人は依頼者から指示された内容に疑問を持たず、言われた通りにするのです」とのコメントをもらいました。
 やはりベトナム人材と日本人材では、「仕事をする」ことの意味の捉え方に違いがあるようです。

□ 盲目的な「上意下達」がベトナム流
 先日、業者への業務依頼にあたり、業者との契約書を弊社のスタッフが持ってきました。

部下:「社長(Sep)、業者が公式領収書を発行するのに契約書が必要なのでサインしてください」
筆者:「ちょっと、待って。領収書発行のために契約書が必要なのではないでしょう?契約書の目的は何?」
部下:「だから、公式領収書が必要なので、契約を結ぶ必要があるんです。。。」
 伝統的なベトナム人の就業感が、家族企業の経営者にあれこれ指示されることを、ただ盲目的に実施する使用人的な感覚だとは、以前より何度か本コラムにも書かせてもらっています。これに加えて、いざ依頼した「作業の目的」はなに?と、問うとなかなか回答できないケースや誤答が返ってくるケースもままあります。

□ 顧客視点から目的を策定する
 先月は「作業の計画立案」の研修講座をベトナム人材向けに開催しましたが、講座の演習にても受講生が「作業の目的」を見誤っている例が見られました。例えば、「ウェッブサイトを構築する」作業の目的を「ウェッブサイトを期日までの構築し終える」と定義してしまうようなケースです。こうした目的の定義をしてしまうと、いわゆる手段の目的化がされてしまい、本来依頼者(顧客)が期待する、「ウェッブサイトを通じた集客」といった目的を果たすための施策を全く考慮せず、ただウェッブサイトを構築して作業が終わり、となってしまいます。
 作業計画立案の第一歩は作業の目的の定義となりますが、まずは作業を依頼するには目的をどのように理解しているか確認すること、また目的を定義する際は顧客(もしくは依頼者)の視点から定義することを指導していきたいものです。

□ 目標は目的の達成度を測る評価指標
 目標(mục tieu)には比較的慣れ親しんでいるベトナム人材も多いように思います。しかし、目標に目を奪われ、本来の目的に気づいていないケースもまま見られます。例えば、「コスト削減:10%」といった目標があると、購買部の担当者は「業者と値引き交渉する。より安い業者を探す。」といった施策を提起してしまうケースです。本来の経営者の思いは「会社のコスト体質の強化」であっても、ひたすら目標達成に向けて、業者たたきに終始してしまいます。
 目標には必ず目的があり、むしろ目標は目的の達成度を測るための指標であり、目標を達成しても目的が果たされないのであれば意味をなさない。ということはしっかりと伝えておきたいものです。また、とかく目的が見過ごされがちですので、目的を明示するとともに常に目的を意識させていくことが大切に思います。

 「言われたことをするだけではなく、主体性を持って仕事に取り組んで欲しい」。経営者の皆さんから良く聞かれるベトナム人材の成長への期待です。主体性を持った仕事の第一歩は正しい目的の理解となります。皆さんも「Mục dich la gi?」を活用されてはいかがでしょうか。

果たして経営の現地化は進むか

 90年代後半、世界経済の3つのシナリオというのを目にしました。世界経済は大国のもと一様化するという第一のシナリオ、少数の強国に収れんされるという第二のシナリオ、そして複数の国により混沌化するといったものです。ソ連崩壊後の安定した経済化の当時は、当然のごとく第一シナリオが有力に感...