2021年4月26日月曜日

学び方を学ぶ

 数年前、ハノイ市内の大学が日本式学士課程を立ち上げるというので設立式典にお邪魔しました。式典はさておき、質疑応答の時間に他大学のベトナム人先生より、「ベトナムの教育は知識偏重で、考える力が養われておらず、実務で役に立たない。本課程ではどのように考えるか」と、なかなか鋭い質問があがりました。
 残念ながら担当者は質問者の意図が理解できなかったようで、「本課程は実務に沿った、実社会で役に立つ内容とします」といった、まとはずれな回答となっていましたが、ベトナムでの教育に問題意識を掲げるベトナム人もいるのだと関心するとともに、そうした問題意識がまだ一般的ではない現状が見て取れました。

□ 「能力=知識×経験」がベトナム流
 「応用力が弱い」そんなコメントも当地の日系企業経営者よりよく頂きます。弊社の研修講座でも、皆さん一生懸命にメモを取るのですが、思考をめぐらす様子はあまり窺えません。受講者に考えさせようと質問に質問で返すと、「私が質問しているので、答えてください」と安易に答えを望む傾向もみられます。
 ベトナム人材に「優秀な人とはどんな人?」と問うと、「専門知識をたくさん持っている人」や「経験豊富な人」といったような回答が多くあり、「能力=知識×経験」の方程式が見えてきます。また「頭の良い人とは?」という問いには「すぐに答えが出せる人」といったように、いわゆる「頭の回転の速い人」が頭の良い人との理解があるようです。
 まとめると、外部から与えられた知識や経験を吸収し、すばやく引き出すことのできる人が能力の高い人、といった定義となりましょうか。残念ながら、発想力や洞察力、構想力などといった、外部から与えられるものではなく、自ら生み出す力については、まだあまり着目されていないのが現状のようです。

□ 学び方を学ぶ
 いわゆる、勉強は得意だが学習が苦手と言えそうなのがベトナム人材でしょう。よく見られる課題は、自身の発案に自信過剰となってしまったり、思考が浅く陳腐な発案となってしまうことでしょうか。
 「勉強」は知識や経験を蓄えること、「学習」は知識や経験を受けて行動や判断が変わること、とも言われます。まずは学び方を身に付け、頭でっかちの物知りになるのではなく、より良い行動・判断ができるよう自分自身を変えていく、学習ができるようになって欲しいものです。

- 無知の知
 勉強好きの成果か、勝ち得た知識について絶対の自信を持ってしまうことが思考を妨げる障壁なります。また自身の考えに固執し、他人の意見に耳を貸さないベトナム人材もままおり、こうした人材には正直お手上げです。
 「金槌しか道具がないと、全ての問題が釘に見える」と言いますが、自身の持っている知識に慢心せず、まだまだ知らないことの方が多いということを念頭に、「知らないということを知ることが、知ることの始まり」という姿勢で、新たな知識や他人の意見に耳を傾けることに貪欲になって欲しいものです。

- 視点・視座・視野
 日々の業務で常に提案をするように働きかけると、自分なりに考えて提案してくれるのですが、あっさりとは承認できないことがままあります。多くは考える際に考慮点がかけており、「その案だと後々問題が起きるよね」と指摘すると、「あー。そうですね。思いつきませんでした」となり、再提案を繰り返すうちに諦めてしまうというオチとなります。
 視点(異なるものを見る)視座(異なる立場から見る)視野(広く・長く・深く見る)とも言いますが、常に多面的にものを見る習慣を身に付けたいものです。

- 仮説検証
 他人の意見や批判に耳を傾け、様々な視点・視座・視野から検討を繰り返すのが思考のプロセスですが、思いついたままのアイデアを最終案として結論付けてしまうことが課題です。自身のアイデアはあくまで仮説であり、検討を繰り返しアイデアを検証、誰もが納得できるアイデアに磨き上げる思考のプロセスを身に付けたいものです。

 知っている知識に基づいて、質問に即応的に回答するスタイルが常套のベトナムでは、まだまだ「考える」という作業は真新しいものに感じます。「勉強」から「学習」へ進化し、知識に頼るのではなく自身を磨くよう、学び方を学んで欲しいものです。

2021年4月19日月曜日

決め方を決める

 顧客クレームへの対応や新製品の導入時など、部門間での会議で結論が出ずに、日本人管理者に判断を求める。よく伺う会議や議論におけるベトナム人材の課題です。
 もとより値段をふっかけている土産物屋を除き、一般の商店では「嫌なら買うな」とでもいいたげな店主の交渉の余地のない態度を見れば、推して知るべしともいえる状況かと思います。

□ 上意下達の意思決定がベトナム流
 親族経営が中心のベトナムでは、経営者がすべての決断を下し、従業員は盲目的に指示に従うだけというのが一般的です。従業員は経営者に求められれば意見は言いますが、あくまで決めるのは経営者で、経営者の判断が気に入らなければ会社を辞めるか指示を無視するかです。ともすれば、上司ではあっても雇われの管理者には決定権もなく、もしくは経営者の判断で容易に決定が覆るため、従業員も管理者を飛び越して経営者の顔色をうかがいます。
 また、市場経済が導入されて間もないせいでしょうか。先の商店主のように一般には交渉や妥協をするような習慣はなく、一方の提案に他方はYESまたはNOを返答する、合意に至らなければそれでおしまい。というのが通常の取引の仕方です。むしろ、交渉しようとすると「騙そうとしているのではないか」と嫌な顔をされます。

□ 決め方を決める
 上記のような状況から、ベトナムにおける対等な個人間での合意形成は、互いを慮り、着地点を見出そうとする日本的な集団的意思決定とは対極的、もしくは未知の世界ともなります。
 このため、全当事者が納得できる案を自ら導けるようになるには、議論に参加する人たちの考え方や議論の仕方を一から教育、磨き上げていく必要が出てきます。

- 議論の目的を明確にする
 ベトナム人材のよくある未理解の一つは、議論の目的を明確にしていない点です。議論の目的を「議論すること」としたり、「対応案を選ぶ」とするなど、議論そのものが目的化、もしくは異なる意見のいずれかを選ぶ、と考えていたりします。
 「顧客の満足を高める」など、議論の目的を、全当事者に共通する具体的な目的として定める必要があります。

- 意見ではなく論点に注目する
 先にあげたように、議論の場では各当事者の意見に賛成か反対かを述べるだけにとどまることが良く見られます。このため、議論の場が意見の押し付け合いになり、容易に決裂します。
 新製品のテストのために「生産ラインを止めるか、止めないか」といった意見にとらわれるのではなく、意見の背景にある、「ラインを止めると残業が増える、至急のオーダが入っている」など論点に注目し、論点を解消するアイデアを生み出すことで合意に結び付ける議論の仕方を身に着ける必要があります。

- アイデアは吟味するのではなく、積み上げる
 一つアイデアがあると、ああでもないこうでもないと賛否の応酬が続くのもよく見る光景です。自身の考えに執着し他人の意見に耳を貸さないベトナム人材の最も克服が困難な課題かと思います。
 他人のアイデアに耳を傾け、どうしたらより良いアイデアとなるか、アイデアを加え・積み上げる。それが理想ですが、なじむまでには努力と忍耐が必要です。

- 議論のルールを定める
 中には、自身に不利な議論には参加しない、結論が出ても従わない人もいます。
 会議が招集された際には必ず参加すること、皆で決めた案には従うことなど、議論のルールを社内で定める必要がある場合もあります。

 現地化・自立化に向けて、社員の主体的な意思決定を期待したいところですが、特に対等な個人間での合意形成はベトナムでは容易ではありません。議論する習慣も少ないことから、まずは「決め方を決める」ことから始めていく必要を感じます。

2021年4月12日月曜日

変わっていくもの、変えていくもの

 今年も年度替わりの時期を迎え、帰任や赴任の声を多く耳にするようになりました。筆者は帰任などの予定はなく、いよいよ在越15年目を迎えます。親しくなった方とのお別れの時期でもありますが、赴任される方との新たな出会いに巡り合う時期でもあります。今回は、ベトナムというアウェーの地で新たに経営に当たられる、赴任者の方に向けてエールを送りたいと思います。

□ アウェーの地で日本的経営の理念を叫ぶ

 洪水のようなバイクの流れや路上に溢れるゴミなどは、ベトナムのような途上国での経験の浅い方にとっては「なんと常識のない国」と呆れざるを得ない光景でしょう。しかしながら、未だに混とんとも見えるベトナムの日常は15年前に比べれば、格段に進歩を遂げています。以前は7割のドライバーは信号を無視していましたが、今は2割程度に減りました。タクシーの運転手も「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えるようになっています。15年前は想像もできませんでしたが、他国と変わらずベトナムも時代の流れに沿って変わっていくものも多いのだと実感します。
 赴任先としての人気も高まりつつあるベトナムでは、行き届いたサービスアパートに住み、日本語のできる運転手とともに会社に迎い、日系の取引先と商談・日本語のできるスタッフを介して指示を出し、日本料理屋で夕食を取り、週末は日本人の仲間とゴルフをすれば、あたかも日本で仕事をしているような感覚で過ごすことも可能となってきました。ところが、うっかり気を緩めていると、信頼するスタッフの突然の離職や、役所からの理不尽な要求、親玉従業員による会社の乗っ取りなど、ここはベトナムであると、はたと目を覚まされる仕打ちに会うこととなります。
 良く耳にするのが、「こんな事は、日本ではありえない」という言葉です。当然ですがここはベトナムです。在越邦人は1万5千人ともいわれますが、ベトナム人口の9千4百万人に比べれば、日本人は6,200人に1人。日本で言えば、町で唯一の日本人といったマイノリティです。また、ベトナムの労働人口は5千4百万人ともいわれますが、外資系企業に勤めている人は8%程度ですので、5千万人は外国企業での仕事の仕方など知る由もありません。
アウェーの地で経営に当たっているという意識は常に念頭に置いておきたいところです。

□ 変わっていくもの、変えていくもの
 第3次インドシナ戦争を含めれば、ベトナムが戦争から解放されたのは1990年以降。現在の30代以前のベトナム人材が戦後世代となります。確かに最近の新卒者は考え方もあか抜け、ベトナムの豊かな成長を期待させます。しかしながら、こうした人たちが世相の中心となり、先進国と同様の価値観が当たり前となるには、まだあと30~40年は必要でしょう。
 社会の発展とともに人も変わっていくベトナムですが、そうは言っても40年は待っていられません。積極的にベトナム人材を変えていかないと、伝統的なベトナム流の価値観・振る舞いに飲み込まれてしまいます。
 特に根深いのが、家族第一の価値観に基づく就業感や対人関係から生じるトラブルでしょう。ベトナム人材が日本のような会社人間になることはあり得ませんが、組織の一員として使命感を持って働くように方向付けをしていくことは可能です。

- 会社は従業員の協働の場
 ベトナムでは、国営企業も含めて親族経営の企業が多く、一般の従業員は経営者の指示に従って手足として働く使用人のような就労意識を持っているケースが多くあります。
 積極的に経営に参加し、主体的に発案・行動して協働体としての企業価値を高める従業員への期待は明言したいところです。

- チームで働く
 ベトナムでは、上意下達の指揮命令系統のもと、職務を細分化して各人が個人として仕事をするのが一般的です。
 組織において優秀な人とは、個人として優秀なのではなく、チームを成功に導ける人だという期待も明言したいものです。

- 仕組みで仕事をする
 世界的にも稀有な日本の終身雇用を前提とした仕事の仕方は、属人的な業務運営を導きがちです。ベトナムは他国と変わらず、人材は流動します。流動するベトナム人材は、後任の苦労など慮るはずもなく、経験や知見を雲散霧消にして職場を去ります。
 人に依存せず、仕組みで仕事をする体制作りを進めましょう。仕事を手順に落とし込む、情報を集約するなど、個人の経験や知見を会社の財産として蓄える作業を日常業務に織り込んでいきたいものです。

 他にも、新しく赴任された皆様には日々新鮮な驚きがあろうかと思います。人は変われど安定して成長する会社は、朱に交われば赤くなる風土が確立されている会社のようです。赴任ミッションだけでも大変な日々と思いますが、長期的な拠点の成長に向けて、日本的経営の理念を叫び続けていただきたいとエールを送ります。

2021年4月5日月曜日

理由か原因か?

 ミスを指摘すると、言い訳が止まらない。よく耳にするベトナム人材の課題です。また、問題の原因を問うと「作業者が注意をしていなかったため」「手順書に記載がなかったため」といった言い訳めいた分析結果を回答するケースも良く見られます。弊社の研修講座の中では、こうした間違いを指摘する際に「それは原因ではなく理由でしょう」とコメントします。すると、受講生は比較的すんなりと間違いを受け止めてくれるようです。

□ 理由と原因の違い
 理由と原因の違いを説明せよと言われると難しいのですが、理由と原因が異なる意味合いの言葉であることは誰もが理解するところでしょう。ベトナム語でも理由(lý do)と原因(nguyên nhân)では異なる表現が用いられ、意味合いの違いは日本語の理由と原因の違いに似通っているようです。
 そこで、あらためて理由と原因の違いを少し調べてみました。
 辞書によれば、理由とは「物事がそうなった、また物事をそのように判断した根拠。わけ。子細。事情。」原因とは「ある物事や、ある状態・変化を引き起こすもとになること。また、その事柄。」とのことです。
 辞書の文言を見るだけでは大きな違いは見られませんが、ひとつ着目すべきは、理由には「判断した根拠」が含まれることでしょう。「お腹が痛いので会社を休む」といったように、「お腹が痛い(理由)」状態を判断した結果、「会社を休む(行動)」といったように使われます。
 次に英語で理由(Reason)と原因(Cause)の違いを調べてみると、わかりやすい説明がありました。“A cause is the one that produces the effect. On the other hand reason refers to a thought or a consideration in support of an opinion.(原因は結果を生み出す要因。理由は意見を正当化する考え)”。
 ベトナム語では原因と理由の違いの説明は見つからず、辞書を見ると、理由(lý do)は“Điều nêu lên làm căn cứ để giải thích, dẫn chứng(意見の根拠や証明)、原因(nguyên nhân)は”Điều gây ra một kết quả hoặc làm xẩy ra một sự việc, một hiện tượng(結果や事象・現象を引き起こすもの)“となっており、日本語や英語と同様の意味合いの違いが見られます。
 上記から問題解決などの仕事で多く用いられる理由と原因の違いは、理由が「主観的な説明」原因が「客観的な事実」とでもいえましょうか。

□ それは「理由」か「原因」かを問い、原因究明を促す
 一般にもベトナム人材は日本人と同様に「理由」と「原因」の違いを理解しており、「それは原因ではなく理由だろう」と指摘するだけで、間違いに気づいてもらえる場面も多くあります。
 本人が気づけない場合には、「手順書に記載がなかったから不良が生じた」などの原因分析結果は、「では、手順書に記載がなければ、必ず不良が起きるか?(他の人は手順書に記載がなくとも正しく作業ができている)」と確認すれば、それが原因ではなく理由であることが判明します。また、たまに「原因がたくさんあり、問題が解決できない」という声も良く聞きますが、これも正しくは「原因となる可能性がある要因が」たくさんあるであって、問題を“実際に”起こした原因がたくさんあるわけではないと説明すれば理解できるかと思います。 自身の分析結果が原因ではなく理由であることが理解されて、次の課題は真の原因探しですが、これが容易ではありません。以前の記事にても記載しましたが、「さて、どうして問題が生じたのか」と考えても答えが出てきません。多くの場合、実際に問題が生じた状況や作業者の作業内容などの実態を知らない場合が多いためです。「分析」というと高度な能力が求められるように思われがちですが、やはり大切なのは「現地・現物・現実」なのでしょう。

果たして経営の現地化は進むか

 90年代後半、世界経済の3つのシナリオというのを目にしました。世界経済は大国のもと一様化するという第一のシナリオ、少数の強国に収れんされるという第二のシナリオ、そして複数の国により混沌化するといったものです。ソ連崩壊後の安定した経済化の当時は、当然のごとく第一シナリオが有力に感...