2020年9月28日月曜日

Why:なぜ、を問わずにHow:どうやって、を問う

 ミスの注意をすると言い訳ばかりで反省の色が見えない。問題解決のための原因究明を指示したはずが、いつのまにやら犯人捜しになってしまっている。良く聞くベトナム人材の成長課題です。
 ベトナム人特有のプライドの高さが原因と考えがちですが、理由はそれだけではなさそうです。

□「なぜ」は相手への不信感から出る言葉?
 弊社のパソコンが不調で突然シャットダウンしてしまうため、技術者を呼んだ時のことです。技術者曰くは、内部の電源装置を交換する必要があるとのこと。なぜ電源装置を交換する必要があるのかと問うと、電源不良で内部の冷却ファンが回ったり、回らなかったりするとのこと。なぜ電源装置とファンの間の通電に問題があるのが分かったのかと問うと。。。「どうして、なぜなぜ言うのか。自分の言うことが信じられないなら、自分で直せば良い」と気分を害して帰ってしまいました。
 どうにも、ベトナム人は「なぜ」を問われると、自分の考えが疑われている、自分が責められている、と感じてしまうようです。ベトナム人スタッフと外で昼食をとる際に、「ブンチャー」を食べようというスタッフに「なぜ」と聞くと、「嫌なら自分の好きなものを食べればいい」と言い放たれてしまいました。
 最近ではベトナムでも「コーチング」という手法が流布しはじめ、弊社でも講座を提供したことがあります。コーチングで用いられる手法に「質問法」があり、コーチングの相手に「なぜ」を問いかけることで、相手が自分で課題を分析し、対応策を立案することを助けます。目新しいコーチングの勉強自体はベトナム人の皆さんも興味深く勉強してくれるのですが、いざ演習を行うと自身に「なぜ」を問いかけるというよりは相手を説得できる回答を用意することに注力してしまいます。また、コーチングなど知らない人からの相談で質問法を適用すると、「私が相談しているのに、なぜ質問ばかりで答えてくれないんですか!」と相手を怒らせてしまうこと必至です。
 日本では、常に「なぜ」を自分に問えなど、より深く考えるための手法として「なぜ」が使われることがありますが、ベトナムではまだ「なぜ」は理由を問う、疑う以上の使われ方はしていないようです。

□“Why:なぜ”を問わずに”How:どうやって”を問う
 日本でも“なぜ”にこだわれと言われ始めたのは、日本が世界的な競争で頭角を現し始めた1960年代頃のことと思います。ベトナムもそろそろ思慮深く行動すべき時期にあるように思いますが、残念ながら一般にはまだ直感や家族・友人の勧めに身を任せるのが主流に思います。社会の自然な成熟を待つだけではなく、“なぜ”と自分に問うことを時間をかけて啓蒙していく必要はありますが、目前の事業を前に進めるためには、言い訳や犯人捜しではなく、再発防止の対策を打つ行動を促す必要が短期的にも生じます。
 筆者がお勧めする短期対策は「なぜ:Why」を問わずに「どうやって:How」を問うことです。ミスを犯した従業員に「なぜ」と問うても、「責めているのではなく、同じ誤りを繰り返さないようにして欲しいんだ」という気持ちはなかなか伝わりません。そこで、「なぜミスを犯したのだ」ではなく、「どうやったらミスを防ぐことができるだろうか」とHowを問うことで責めているのではないということが意識され、対策の検討に導くことができます。ただし、「ミスをチェックする人を増やせば良い」などミスの発生を前提とした短絡的な対策も出てきますので、「ミスを起こさないような根本的な対策を考えよう」と辛抱強く指導していく必要はあります。
 ベトナムでもQC(小集団)活動を進めている会社も増えてきましたが、社内のQC大会でベトナムチームがアジアでも上位に食い込む成果をよく伺います。改善施策などで日本人をあっと言わせるような発想もできるベトナム人材ですので、上手に活かしていく接し方も考える必要がありそうです。

2020年9月21日月曜日

叱っても、怒らない

 仕事の経過報告がない、行き当たりばったりに仕事を進めて結果は間違い・抜け漏れだらけ。ついかっとなって怒鳴りつけると、相手は支離滅裂な屁理屈で逆切れして反省の色が全く見えない。筆者もそうですが、特に来越して間もない頃はイライラが募り、「どうしてベトナム人はこうも聞き分けがないんだろう」と悩んでいました。

□ベトナムでは感情的になるのは恥ずかしいこと

 不思議なのが、路上での喧嘩はしょっちゅうですが、ベトナム人の上司が部下を怒鳴りつけている場面にでくわすことは滅多にないということです。ベトナム料理屋でお釣りをごまかそうとしたスタッフに注意するためにマネージャを呼んでも、マネージャーはスタッフを叱るでもなく、だまって足りないお釣りを払うだけ。筆者が仕事で遅くなり事務所を出る際に管理人のベトナム人に注意を受けましたが、相手は空を見つめて淡々と「この事務所の開館時間はxx時までとなっている。遅れるのであれば事前に管理事務所に届け出るように」と言うだけです。聞くところによれば、ベトナムでは感情的になることは自身を見失い取り乱していると思われるため、特に大人はやってはいけない行為と捉えられているようです。

□他人の領分に踏み込まないのがベトナム流個人主義
 ベトナムは個人主義と言われますが、筆者にはベトナムの個人主義は一般に想像する「我を張る」個人主義ではなく「自己防衛の」個人主義と感じられます。他人のことには口を出さない挟まない。人のことは人のこと、という個人主義です。
 例えば、部下が失敗しても上司のベトナム人は怒りません。失敗は失敗、相手を非難することは相手の感情に踏み込むことになるため淡々と処罰を告げるだけです。もしくは全く口にも出さず、後で評価に反映するだけということもあります。一方で作業者同士の殴り合いの喧嘩など、相手の領分に踏み込むと徹底抗戦をすることにもなります。外国人には比較的に心を開いてくれるベトナム人ですが、感情的になって部下のベトナム人と接すると、相手は口を真一文字に結んで空を見つめて聞き流すか、逆に怒り出し罵詈雑言を浴びせてきたりします。
 「ベトナム人の上司が部下に注意できない」という相談も良くいただきますが、こうした問題も人のことには口を出さない、口を出したらそれなりのしっぺ返しがある、というベトナムの個人主義を背景にしていると思われます。

□叱っても怒らない
 しかしながら、こうしたベトナム流の個人主義が会社にはびこってしまうと、誰も互いに注意せず、細かい規則と厳しい処罰だらけの職場となってしまいます。問題となるのは注意をされている人が、「相手に攻撃されている、非難されている、辱めを受けている」と感じてしまうことでしょう。互いの領分に踏む込まないことを暗黙のルールとしているベトナム人同士では、注意をするということは、越権行為です。ある程度の人間関係ができて、「上司は自分のことを責めようとしているのではない、むしろ育てようとしているのだ」とわかってくれば、徐々に耳を傾けてくれるのですが、それまでは「注意をする=相手のプライドを傷つける」と考えたほうが良いでしょう。
 「相手のために叱り」「自分のために怒る」と言われます。「怒る」のは自分の感情を相手にぶつけることで自分の鬱憤を晴らすことだそうです。ベトナム人の部下との間に人間関係ができていれば、ある程度感情的になっても相手は自分を敵視しているとは感じませんが、相当の人間関係ができていない限りはお勧めできません。冷静にしかし熱意を込めて叱り・指導することです。
 叱られることにさえ慣れていないベトナム人ですから、その後の切り替えも大切です。叱っても後に引きずらず、むしろ笑顔で声をかけるなどメリハリをつけることによって、「決して責めているのではない」と、ベトナム人に安心感を与えることも大切です。
 むしろ褒めて伸びるタイプが多いのがベトナム人のように思います。日本人は人を褒めるのは苦手ですし、褒めるだけだと慢心して図に乗るベトナム人が多いのも事実ですので、叱った後にできるようになったら認めてあげる。それを繰り返すことによって、「叱られるのは責められているのではなく、指導を受けているのだ」、「指導に従ってより良く仕事ができれば認められる」、と感じられるようになっていくようです。

 守りの個人主義のベトナム人材は、自分が否定されることを極度に恐れる一方で、自分の仕事が認められると俄然やる気を出します。叱られるのは更なる成長のための機会を与えられているのだと感じられる指導の仕方と職場づつくりを心掛けたいものです。

2020年9月14日月曜日

ベトナムは社会が発展途上なら、人も発展途上

ベトナムに視察に来られる方からよく耳にするのが「ベトナムは日本の1970年代のようですね」という感想でしょう。建設工事現場があちらこちらにあり、バイクが隙間なく行き交う喧噪から発展途上のベトナムの活力を感じられての感想なのでしょう。確かにベトナムは日本の40年前を彷彿とさせます。翻せば、ベトナムで仕事をするということは、21世紀の日本人が20世紀の人たちと仕事をするということなのです。

□ベトナムでは近代化が始まって30年足らず

ハノイ市内は高速道路が縦断し、高層ビルが立ち並ぶ一角もでき、ホーチミンの1区はここがベトナムだろうかと思い違えるようにブランドショップが立ち並ぶようになりました。2008年より中所得国入りしたといわれるベトナムは、日本のような先進国の人が暮らすにも比較的苦労のない都会になりつつあります。

しかしながら、1986年のドイモイ政策から35年、2008年のWTO加盟から12年とベトナムは、まだまだ経済発展の歴史の浅い国です。

筆者がベトナムを往来し始めた2005年頃でも、まだ街中に信号もまばらで、タクシーなど商用車を除いては車の往来も非常に少なく、まさにバイク天国でした。

自家用車がぽつぽつとみられるようになり、信号が増えてきたのは2009年頃からでしょうか。その頃はまだ赤信号で止まる運転手は全体の2割くらいだったかと思います。安全確認のためのクラクションもひっきりなしに鳴らしている状況でした。それが今では信号にも慣れてきたのでしょうか、最近は8割くらいの人は信号を守るようになったように感じます。2007年のヘルメット着用義務化は壮観でした。政府の真剣さが伝わったのか、バイクの運転者のほぼ全員がヘルメットをかぶって運転する姿は、一夜にして町の様相が変わったようでした。

□まだまだ発展途上のベトナム人材

ルールが守れない。マナーが悪い。ベトナムで会社を立ち上げられて間もない製造会社の多くが共通して頭を痛めることの一つです。使った楊枝は通路に散乱している、タバコの吸い殻がそこかしこに落ちている、洋式便所の便座に足跡がある、食堂のテーブルや床が食べかすだらけになっている。こうした点の改善から仕事が始まります。ある会社の経営者は「幼稚園の先生だね。1000人の子供に仕事をさせているようなもんだよ。」とおっしゃっていました。

始めは、「ベトナム人はいったいどうなっているんだ?日本で聞いた話と違うじゃないか!」と感じてしまいますが、ベトナム発展の歴史の浅さを思えばいたしかたないとも思えてきます。

信号の目新しさも一例ですが、一般のベトナム家庭では床にゴザを敷いて食事をすることが多く、食べこぼしもしますし、食べかすなどもゴザごと片付けるのでさほど気にしません。もちろん一般家庭では様式便所は普及していません。ゴミ回収は路肩に落ちているゴミを拾っていくので、タバコの吸殻を投げ捨てたり、道にゴミを捨てるのもあまり気にはしません。特に郊外では農家が多く、雨が降れば仕事は休みなのが当たり前です。

これ見よがしにI-Phoneを持っていても、高級なオートバイに乗っていても、全てがここ10年内に起きたことですので、中身の人間はまだまだ未発展なのです。

□ゼロからだと思って当たり前のことを教える

駐在の皆様が苦労されるのは、こうした発展途上のベトナム人材とともに、さりとて使命である事業計画は達成しなければならないということでしょう。ベトナム人材には目をつぶって、自身の粉塵の努力で使命を成し遂げることもできなくはないでしょうが、それでは後任の駐在員にお荷物を押し付けることになってしまいますし、中期的な拠点の自立化はおぼつかなくなります。

経済発展の歴史の浅さを見れば、ベトナム人材は「ルールを守らない」「マナーが悪い」のではなく、「ルールを知らない」「慣れていない」のだと思います。先の「信号を守る」の例でもそうですが、交通ルールの浸透とともにクラクションの音も少なくなりましたし、タクシーの運転手がXin Com onと言ってくれることも珍しくなくなってきています。

 ベトナムの実情をご存知なく赴任された方には追加のご苦労ですが、ベトナム人材は白紙の状態と考え、当たり前のことから教えていくことをお勧めします。「挨拶をする」「ありがとう、ごめんなさい、が言える」「ゴミはゴミ箱に捨てる」「使ったものは元にもどす」、そんなことからベトナム人材の育成が始まるのだと思います。

2020年9月11日金曜日

挨拶から始めましょう

  今年でベトナムに進出する日系企業の皆様のベトナム人従業員向け教育を始めて14年目になります。

事業を立ち上げたばかりの頃は、ベトナム人だからと高をくくって気を抜いた講座を実施してしまい、顧客としてのベトナム人の目の厳しさに舌を巻いたこともありました。モチベーションの落ちた受講生たちに、研修など受けても意味がないと総スカンを食ったこともあります。一方で、「ムリムダムラ」を教えたところ、翌日から従業員が「ムダムダ」と言い始めたと喜びの声をいただいたり、管理者の役割責任を学んで、すぐに管理者たちが自主的に打ち合わせを持って課題の検討を始めるなど、行動変化が現れ易いベトナム人向け教育の手応えを感じたことも多くあります。はたまた、ベトナム人マネージャから「うちの日本人は『こいつは馬鹿だ』と通訳しろという。うちの日本人を教育して欲しい」と頼まれたこともありました。

教育の成果も職場の風土しだい

総じてベトナム人は知識や経験がなく無垢なだけに、教育の効果は日本人を相手にするのに比べれば格段に高いのですが、教育が成功するかどうかは多分に会社の職場環境に依存するものだとも感じます。職場に活気があり、従業員が新しい取り組みにうずうずしている職場では、知識の吸収への関心も高く、おもちゃを与えられた子供のように学んだ手法を活用し始める場面がよく見られます。

そんな私が、会社を訪問して一番に確認するのが、ベトナム人従業員が挨拶ができるかどうかです。

門の守衛さんに始まり、訪問を受け付けてくれるベトナム人スタッフ、工場内の現場作業者まで挨拶ができる会社は総じて教育が成功しやすいと感じます。現場作業員が手を止めて来客に挨拶することには賛否両論がありますが、ベトナム企業または一部の日本企業でも現場作業員が来客と目が合うと、目を背けるケースもありますので、いかに人を受け入れる心の準備ができているか推し量る一つの目安としています。

外国人には総じて愛想の良いベトナム人ですが、一般にベトナム人同士は近しい友達や家族でもないと挨拶を交わすことはありません。互いに衝突を避ける傾向があるため、不要な会話は避けるのが一般的です。挨拶習慣のないベトナム企業では、事務所の中は静まり返り、従業員間のコミュニケーションがすべてチャットで行われているような会社もありました。当然のことながら、このような会社では自ら進んで手をあげるようなことははばかられ、社長の指示がない限り行動を起こさない「事なかれ主義」がはびこります。

日本人が模範を示しましょう

日本ではOASIS(おはよう、ありがとう、失礼します、すみません)といったりしますが、ベトナムでもBa XinXin Chao, Xin Loi, Xin Cam On)という美しい言葉があります。日本でも挨拶を励行するのは人の心を開き、職場の風通しを良くするためです。ベトナム人同士も挨拶を励行することで少しずつ互いの疑心暗鬼がほぐれていき、問題だと思っていること、こうしたら良いのではといったアイデアが周りの目を気にせず発案できるようになっていきます。

会社によっては「おはようございます」など、日本語での挨拶を推進しているところもあります。ベトナム人は外国語への関心も高く、日本人と会話をするのを楽しみにしていますので、喜んで日本式の挨拶をしてくれますし、日本からの来客には受けが良いのも確かかと思います。しかしながら、ベトナム人同士のコミュニケーションを図る目的では、日本式の挨拶は効果に疑問が生じてしまいます。日本の外資系企業でも日本人同士は“Good morning”と挨拶はしないのと同じで、ベトナム人同士が「こんにちは」と挨拶をしているのは冗談半分の場合を除き、あまりみかけません。

挨拶に不慣れなベトナム人が進んで挨拶を始めるまでには時間も労力も必要です。まずは日本人が率先して、会った人、すれ違った人の全てに挨拶をする。会議や朝礼の始めには必ず挨拶を行うなど先陣を切って見せて教えていくことが重要です。

挨拶は社員が心を開き、一丸となって仕事をする上での初めの一歩だと感じます。まずは、挨拶から始めてはいかがでしょうか。 

果たして経営の現地化は進むか

 90年代後半、世界経済の3つのシナリオというのを目にしました。世界経済は大国のもと一様化するという第一のシナリオ、少数の強国に収れんされるという第二のシナリオ、そして複数の国により混沌化するといったものです。ソ連崩壊後の安定した経済化の当時は、当然のごとく第一シナリオが有力に感...