2021年3月29日月曜日

公平なベトナム人と公正な日本人?

 日越ともに年も新たまり、今年も頭の痛い人事評価の季節がやってきました。結果や評価はともあれ、なんとか自身の期待する給与水準に近づけるため、あれやこれやと理由を積み上げるベトナム人材に時間を取られる評価面談は気の重い年中行事です。そんな評価面談でベトナム人材から良く聞くのが「それはアンフェアだ」というコメントでしょう。そもそもフェアとはなんなのか、日本人とベトナム人ではフェアネスという言葉への理解に違いを感じます。

□ 公平に重きを置くベトナムと公正を重んじる日本?
 似て非なる日本語に公平と公正があり、多くの日本人は両方の意味を込めて“公平”と表現しているように思います。公平・公正ともに翻訳をすると、英語では“Fairness”、ベトナム語では“Công bằng”と訳され、公平と公正の違いは意識されずに、ベトナムでも使われているようです。
 そこで、あらためて公平と公正の違い調べてみると、公平とは“2つ以上のものへの対応や扱いに差がないこと”、公正とは“個々のものを同一の基準に照らして対応や扱いを決めること”とのことです。例えば、サッカーの試合で退場者が出てチーム間に人数差が生まれることはままありますが、「公平」の観点からすれば、こうした状況下での試合は「公平」ではないとも言えましょう。一方でルールに従って退場者が出たのだから、この試合は「公正」に行われたとも言えます。
 どうにも、評価面談での議論は「公平」を主張するベトナム人材と「公正」に評価を行おうとする日本人とのせめぎ合いとなっているようにも思えます。ベトナム人材は、同僚と比べていかに自分が不利な立場にあるか(家が遠い、家族が多いなど)や、自身が勝っているか(より難しい仕事だった、困難な環境も克服した)など同僚と比べた評価の公平性を主張します。一方で日本人(評価者)は、状況がどうあれ結果は結果、評価基準に照らした公正な評価結果を受け入れるように主張します。
 日本でも「三方一両損」といった逸話で語られる「大岡裁き」のように、紛争を丸く収める判断を人情味があって良いとする側面もあります。しかしながら、ケースバイケースで判断が異なる「大岡裁き」は法律家からは正しい裁きではないとの意見が多く、また一般には「車がいなくても赤信号では止まる」といったように時々の状況より規範を重視するのが日本人的な考え方とも言えましょう。
 一方でベトナムでは、「公正さ」よりも個々の事情を斟酌した「公平さ」がより尊重されるように見受けられます。裁判での判決などの例を見ると、麻薬を中国から密輸したベトナム人女性が、学歴が低く、また夫と子供2人を中国に残していることから極刑を免れ、終身刑へ減刑されたなど、日本では考えられない個人の事情に応じた情状酌量がされています。また、労働法にも有給休暇での往復移動日数が2日間を超える場合は3日目以降は追加の有給休暇が処遇されるなど、個人の事情に配慮した規定があります。
 改革開放以前の皆が同じ生活水準であることを良しとする風習の名残か、総中流意識と言われる日本と異なり、格差が前提にあるベトナムだからなのか、定かではありませんが、ルールはあるものの、個別事情に応じて斟酌されるのが好まれるように感じます。

□ 公平と公正を峻別し、「公正」に仕事を回す
 一般にベトナム企業では日本企業以上にルールや罰則が多く、弊社のような教育事業者が研修講座を開催する際にも参加者一人一人が会社と研修契約を結び、欠席やテストの不合格があると罰金を徴収されるなど、非常に厳しい条件の下で仕事をしています。しかしながら実際の運用上はトップの強力な権限のもと、個別事情に応じた采配がされており、ルールは「公正」には運用されていません。むしろ個人の事情やその人の仕事上の価値を斟酌した采配の上手な政治家タイプの管理者が有能な管理者とも言えましょう。
 さりとて、日本人はこのような微妙なさじ加減を運用する能力にはもとより長けていませんし、政治家タイプのベトナム人管理者を雇っても、その人が抜ければ後には混沌が残るだけです。ベトナムの法制度も徐々に判例主義を取り入れ、同一事案は同一の刑で処するように変わりつつある状況を鑑みれば、時間が解決していく問題にも思えます。
 勤続・経験年数で処遇するのが公平と考えるベトナムの伝統的な考えはむしろ排し、社会や人はもとより不公平なもので、どのような状況下にあれ公正に同じルールのもとで競争をしていくのが市場経済下での民間企業のあり方だと徹底していく必要があるのかも知れません。 ともすれば、意味を曖昧にしたまま使ってしまいがちな言葉の一つが「公平と公正」と思います。受け止められ方が異なることを前提に、あえて「公平」という言葉は使わず、ルールや標準をベースに仕事を回す「公正さ」を意図的に流布していく必要があるやも知れません。

2021年3月22日月曜日

果たしてベトナム人材の離職率は下がるのか

 このところ、「ベトナム人材の離職を抑えるには」のような題のセミナーをよく見かけます。弊社にても昨年は数名が退社し、せっかく育ってきた人材が辞めていくのは惜しいものです。しかしながら、「結婚を機に主人の職場に近いところに移る」「両親の体調が悪く、介護しなければならない」「海外で働くのが夢で仕事が見つかった」など、むしろ手を振って送り出したい離職が多く、果たして離職率は抑えられるものなのか、首をかしげる部分もあります。

□ 日本は勤続年数世界一の国

 筆者の経験では、組立て中心の製造業で3~5%、加工や熱・匂いなどの比較的重労働な職場で8%程度が一般的な離職率のように感じます。入社して間もない人が辞めることが多いですが、年間では概ね2割は人が入れ替わるのがベトナムと言えましょう。
 こうした状況から日本との比較で「ベトナムではすぐに人が辞めるんでしょ」というような声もよく耳にします。これはその通りなのですが、一方で「人がなかなか辞めないのは日本だけです」という日本の特殊性にも目を向けたいと思います。
 2013年の厚生労働省の調査によれば、日本は25~54歳の男性のうち、5年以上勤務している人は全体の70%を超え、OECD加盟国の中で1位です。一般にも日本人は「最低5年は務めるべき」と考えるのも頷けます。一方で、5年以上勤務している人の割合が最も低いのが、オーストラリアで50%を割ります。次いで、アメリカやカナダが50%強です。ある民間企業の調査ではベトナムでは3~4年での離職が最も多く22.4%、5年未満では57.5%が離職するようです。タイでは5年未満での離職が54.3%となっています。ベトナムやタイはオーストラリアに似た状況のようです。
 こうしてみると、確かにASEAN途上国の離職率は相対的に高いですが、日本のように7割の人が5年以上同じ会社に勤めるというのはむしろ例外的で、概ね4~5割の人が5年以内に会社を去って行くのは世界的には正常な範囲と捉えるべきでしょう。

□ 使用人的なベトナム人材の就職観

 日本での就職は「就社」とも揶揄されますが、長く務めることを前提とした就職観となっています。しかしながら、日本特有の「就社意識」は世界ではまれで、ベトナムも例外ではなく就社ではなく「就職意識」です。
 町を見渡せば自明の通り、ベトナムでは就労人口の6割以上がいわゆる自営業に従事しており、家族を養える事業を持たない3割程度の人たちがいわば使用人のように自営業者や会社に勤めています(日本は8割)。こうした人たちは、いずれは家族を養う事業を立ち上げるのが花道となり、自ずと腕を磨く就職意識が強くなります。知人のタイ人は「3年経って他社から声がかからない人は優秀ではない人」とも言います。概ね3~5年で、今の会社で学べるものは学んだと考えるのでしょう。
 また、在越の皆さんが口を揃えて言う、ベトナムの「家族第一主義」も離職が多くなる理由の一つでしょう。体を悪くした家族の介護はやむなしとしても、入学・結婚・出産・引っ越しなど、頻繁に生じる家族イベントの結果、家族を支援するために離職を余儀なくされるケースも多くあります。家族の誰かが事業を立ち上げるとなれば、会社はそっちのけで事業に参画するのは家族の一員として最優先の事項です。ちなみに、給与が安いために会社を辞めるというのは良く聞く理由ですが、事情を問い詰めると家族が土地や家を買うためだったり、一緒にアパートを借りていた親類が転居するので家賃が払えないなど、「給与が安い」というより「給与では足りない」というのが実際の理由のことも多くあります。

□ 人の移り変わりを前提に、仕組で会社を動かす
 他人と打ち解けて接せず、ともすれば排他的になってしまうベトナム人材は、冷めたい職場の人間関係やとげとげしい雰囲気が離職の理由となることも良くあります。オープンで活気のある職場つくりを進めることはベトナム人材の定着に一役買います。
 しかしながら、いかに会社を第二の家族にしようとも本当の家族には勝ち目がありません。それでも4~5割の人たちは5年内に会社を去るとの心づもりで、いかに人に依存せずに会社を安定的に運営するかを志向すべきと思います。離職率“0”を目指す会社もたまにみかけますが、離職率が低すぎるのも不健全です。従業員全員が昇進・昇格を続けることはありえませんので、一定の離職率のもと人材の新陳代謝が行われることはむしろ会社の永続に必要となります。 日本企業は仕組化が苦手と言われて久しいですが、ここはベトナム。日本でも仕組み化のもとで成長したマクドナルドやディズニーランドにならい、仕組で動かす会社作りを筆者も目指しています。

2021年3月15日月曜日

組織風土って大切ですよね

豊富な若年労働者や賃金水準の相対的な低さを魅力にベトナムに進出したものの、中国の6割程度とも言われる生産性や未成熟な社会インフラ・人材に悩まされ、ともすれば日々の生産・受注の達成で手一杯となっている会社もあるやも知れません。知らぬ間に、部門間の言い争いが絶えない、新入社員から辞めていくなどの問題が生じ、ご相談いただくことがありますが、問題の根源が組織風土に根ざしていると見られることも良くあります。

□ ほっておけば必然的にベトナム流に
 当たり前のことですが、ここベトナムは日本とは異なります。日本ならば奇異に映るバイクの逆走も、食べカスを床に捨てる習慣も、道を間違っても謝らないタクシーの運転手もここベトナムでは日常的な光景です。
 若い人から徐々に垢抜けて来ていますが、会社の中核を担う30代以降は伝統的な価値観が染みついているケースが多く、当然のことながら特に何もしなければ会社のベトナム人材はベトナム流に振る舞います。

- ベトナム組織は雇われ人の集まり
 ベトナム組織は職務ごとに個別に採用されるケースが一般的で、決まった内部昇進の手続きがないことが多く、上司・部下と言っても日本のように主従・徒弟関係があるわけではなく、役割が違うのみです。従って、部下を育てるといった発想はもとよりなく、部下の失敗も報告はすれど、注意はしません。部下の失敗は部下の失敗、あくまで職務を担当する個人として責任を取ります。

- 他人の畑には踏み込まない
 上記から、各人の役割はむしろ明確に分けることを好み、他人の役割に口を挟むことはご法度です。他部署と関わり合うことを基本的には避けますし、ひとたび衝突が起きると激しくぶつかり合います。また、職務を果たす上では比較的自由に行動でき、職権を活用して血縁者を採用・当用したり、私腹を肥やしたとしても職務が全うされる限りはある程度目をつぶってもらえます。

- ベトナム人が3人で穴に落ちると助からない
 上記はベトナム人の特質を皮肉る冗談ですが、察しのとおり、互いに足を引っ張り合うということです。人との軋轢を嫌うゆえか、目立つこと、競争し合う(ぶつかり合う)ことを避ける伝統的なベトナム人材は水面下で互いの足を引っ張り合います。自身が競争相手より抜きんでるというよりは競争相手の失脚を誘って、それとなく遠慮深げに抜擢されることを好むようです。 こうした特質を理解しているが故に伝統的なベトナム人材は慎重で、私情を明かさず、他人に弱みをみせない、または弱みを指摘されたと感じると徹底的に守りに入ります。
 こうした組織のベトナム流が浸透していても、皆忠実に職務は果たそうとしますので、事業が堅調に進んでいる限りは問題は表面化しません。しかし、大幅な組織の改訂や役割の見直し、組織横断的な取り組みの推進、ベトナム人内派閥が強くなるなどが生じると途端に問題が表面化し、問題が表面化した際には既に手遅れです。風土の要となっているのは一部の従業員ですが、同時に事業の要となっていることも多く、心変わりは期待すべくもなく、また一掃するのは大仕事となります。

□ 組織風土つくりも進めましょう
 ベトナム人材が必ずしもベトナム流風土を好んでいるというわけではなく、疎ましく思っている人も多くいます。しかしながら、意図して風土つくりを進めなければ自然には日本人にとって当たり前の風土はできません。

- 期待する風土・行動を明言する
 ほとんどの会社では経営理念などを掲示していますが、壁の花になっているケースも少なくありません。日本的な価値観が共有されない中で「単語」だけが共有されても、記憶にとどまらないだけならまだしも誤解を生じるケースもあります。「人は財産」といった標語も「だから僕ら従業員は大切にされるべきだ」と解されたりもします。
 面倒ですが、重要な「ことば」については、その由来や意味、目的などをできるだけ具体的に説明することをお勧めします。「上司の指導を吸収し、自身の顧客価値を高める」など、できればそれぞれの「ことば」が期待する行動を具体的に落し込み、社の行動規範とすることが好ましいです。

- 日本人が手本となる
 日本的な風土の伝道師は日本人です。日本に留学した程度のベトナム人材には価値観の伝道は期待できません。日本人は自らが襟を正し、身を引き締めるとともに、「おはよう、お疲れ様」の挨拶、ゴミを拾う、否定せずに聞く、要点を始めに話すなど、ベトナム人材にも見習ってほしい行動をややおおげさにも取って欲しいと思います。会議で発言をしない、問題に正面から取り組まないなど、ベトナム人材がすぐにも真似をしそうな振る舞いは厳に慎むべきでしょう。

- 風土を根付かせる活動を仕組み化する
 経理理念の流布を委員会活動として推進されている会社もあります。人材のありたい姿をベースに、風土を築き高める活動をベトナム人材が主体となって推進するものです。ともすればチームビルディングを目的とした社員旅行も「慰安旅行」と捉えられがちですし、成長を期待する社内研修も「福利厚生」と捉えたりします。各活動の目的を十分に共有して進めましょう。

2021年3月8日月曜日

ベトナム人材の育成にソフトインフラの輸出を

 某国の国をあげた経済覇権の影響も受けてか、日本でも国をあげたインフラ輸出の勢いが増しているようです。途上国支援と言えば人材育成の面では弊社の事業とも関係が深く、日本の途上国支援の流れが変わるなかで人材育成支援のあり方について筆者なりに考えてみたいと思います。

□ 箱もの支援からソフト支援、そしてインフラ輸出へ
 かつては箱もの支援と揶揄され顔の見えないODAと言われた日本の途上国支援ですが、箱でだめならソフトでということか、専門家や技術者の派遣といった「人を送る」支援へと変わり、ここ数年では民間企業の振興も見据えた原子力発電所や新幹線といったインフラ輸出に注目が集まっている感があります。
 ベトナムでも裾野産業育成から工業国化支援と紆余曲折を経ながら、日本の途上国支援の在り方への変化に伴い、原子力発電所や高速鉄道、製油所、輸出入管理といった社会インフラの輸出に傾倒しつつあるように見えます。

□ 金額の多寡ではなく、絆な作りへの途上国支援
 911テロ以降、混迷を増す世界では、各国の思惑や価値観が入り混じったイデオロギー衝突が各地で起きています。東西冷戦下のパワーバランスが崩れた今日では、先進国と新興国が自らの主張を正当化するための票集めの道具として途上国支援を活用している側面も無視できません。
 このため、これまでの途上国支援は、その金額の大小で評価されることが通例でしたが、これからは対象国とのつながりがどれだけ深まったか、持続的なつながりができたかに変わっていくことでしょう。
 この点で新幹線などの日本のインフラの輸出は、単にレールや車両といった従来型の箱もの支援を超えて、広く運営管理に関わる支援を行うことで、時間厳守や共同作業といった日本の価値観である「和」を輸出し、末永い支援対象国との絆を築く役割を担うことが期待されていると思います。幸いベトナムでは「日本式」が比較的受け入れられやすい土壌もあり、互いの普遍的価値観を共有することで「金の切れ目が縁の切れ目」とならないベトナムとの付き合いが続くことを期待します。

□ 求められるソフトインフラの輸出と民間企業活用
 一方で、「人を送るのであれば箱もの批判は受けない」とも思われるような支援や、民間企業と重複する事業を支援団体自らが行おうとする支援例もいまだに見られます。上記のように途上国支援の意義や役割が変貌する中で、数名の専門家派遣は事前調査は別にして絆の構築も個人レベルにとどまり、国対国の絆作りにはあまりに非力です。また民間企業でもできるような事業を支援団体が実施したところで、多額の費用を投じる割には絆作りができる人数規模に限界があり、日本びいきのベトナム人だけが知る仲間内の組織になってしまいがちです。
 「国家100年の計は人にあり」とも言われますが、絆作りに向けた人材育成では価値観を共有する「人が育つ環境つくり」が重要です。ベトナムの学校で日本語を第1外国語にする取り組みも進んでいますが、語学にとどまらず、日本では当たり前の生徒による清掃や部活動、生徒による給食の配布、運動会や学芸会、高校総体のような活動も絆作りと価値観の共有に向けて検討に値すると思います。また、「人が育つ環境つくり」に向けたソフトインフラとしては、他にも教育制度や公的機関の採用・人事考課、公的研究開発制度など、法整備や税制度など既に支援が一部進められている分野に劣らず、検討すべき対象分野があります。
 ベトナムも中所得国入りを果たし、直近では弊社以外にも多くのサービス企業がベトナム進出を進めています。日系企業のベトナム進出を促進し、またベトナムとの持続的な絆な構築に向けても、日本政府にはベトナムへのソフトインフラ輸出にも目を向け、また在越の日系民間サービス企業の有効活用を視野に入れてもらえればと思います。

2021年3月1日月曜日

ベトナム人材の分析力を高める

 問題発生時の対策が思いつき的、行き当たりばったりといった課題はベトナム共通のものと思われ、弊社でも問題解決講座やQCストーリ講座といった研修講座を通じて課題の解消に努めています。しかしながら、研修講座後に浮き彫りになるのが、特に現状分析・原因分析についての「分析力の強化」という新たな課題です。

□ よく見られる分析力強化の課題

 「なぜなぜ分析」は、日本人でも正しく行うのは難しいとも言われますが、他人の納得が求められる発言機会の少ないベトナム人材は、納得に向けた根拠集めともなる分析作業の経験が浅く、以下のような分析結果となるケースがよく窺えます。

- 対策ありきの分析
 分析は仮説を持って行うのが効率的ですので、問題や原因を想定しておくことは大切ですが、分析の結果を「決まりがないため」など、「…がないため」と識別することがよくあります。こうした問題・原因識別の場合には、自ずと「決まりを作る」が対策となってしまいます。

- 主観的な分析
 「現場作業者が作業手順に従わなかったから」など主観的な分析結果も良く見られます。こうした分析は管理・監督者の視点で分析しており、作業当事者の視点となっていないと良く指摘します。作業者自身は「手順に沿わない」ことを目的に作業をしているわけではないため、分析にあたっては作業者の視点から、なぜ・どのように手順と異なる作業をしたのかを把握する必要があります。

- 浅薄な分析
 「作業者が部品の組み付けを間違ったから不良が起きた」など、「なぜ間違ったのか」に踏み込まず対策を提起してしまうケースです。「間違わないように教育する」など提起される対策は暫定対策にとどまり、問題の再発防止につながる恒久対策が打たれません。

□ ベトナム人材の分析力強化
 上記のような課題は概ね各社で共通しており、分析作業時の共通ルールとして基準化することにより、分析結果の間違い探しは比較的容易にできるようになります。

- 「…ない(Khong)」「まだ…(Chua)」を使わない
 「…ない。まだ…」を使うと、実態の分析ではなく、期待(…があったら)の分析となってしまうため、使用を禁止します。また、なぜなぜ分析に際して「…ない。まだ…」を使うと、「なぜ決まりがなかったのか」といったように「なぜ」の問いかけが問題の解決(不良の削減など)と異なる方向に向かってしまいます。「...ない。まだ…」を使わず、どのように問題が発生したのか実態に即して具体的に表すよう指導します。

- 問題発生のメカニズムを明らかにする
 機械故障などはわかり易い例ですが、各パーツがどのように作用して故障に至ったのか、そのメカニズムを明らかにするよう指導します。人間系や手法系の問題でも同様に、「納品時間間際で慌てて作業を行ったため、一つの手順を漏らした」など作業間違い発生のメカニズムを解明することは可能です。
 個人的な「理由」を離れて客観的な「原因」を把握することが難しいところです。

- 事象ではなく、問題に対してなぜを問う
 「事象系の問題」と「原因系の問題」とも言いますが、多くの問題は「発生した悪事象:不良品が検出された」と「解決すべき問題:誤った部品を組み付けた」に切り分けられます。正しくなぜなぜを行えば、事象系問題から出発しても根本原因にたどり着けますが、道のりが長いため、浅薄な分析結果となりがちです。問題事象にとらわれることなく、解決すべき問題を明確にした上で分析に取り組むことが望まれます。

□ 改めて現場力強化の必要性を再認識する
 上記のような分析力強化のポイントは説明すれば皆さん理解できます。しかしながら、同時にそのような客観的な原因を見つけることはすごく難しい。という声も良く聞きます。なぜ難しいのか思い悩んでいたところ、ある経営者の方から、「現場に張り付いている管理者の報告書はわかりやすい」とのコメントをいただき、はたと気づきました。
 皆さん問題発生のメカニズムを明らかにしなければならないことは理解できるものの、現場で作業者がどのように作業を、どのような気持ちで進めているのか知らないため、なぜなぜへの答えを持っていないのではということです。
 ベトナムでは現場たたき上げの管理者は少数派にて、大卒者は始めから管理者や間接業務担当者であることが少なくありません。そうすると、現場を知らないまま高度な問題解決を期待される中核管理者に配置されてしまうこともあるわけです。
 現実に根付いた分析を進めるうえで、あらためて管理者の現場力の強化が期待されます。

果たして経営の現地化は進むか

 90年代後半、世界経済の3つのシナリオというのを目にしました。世界経済は大国のもと一様化するという第一のシナリオ、少数の強国に収れんされるという第二のシナリオ、そして複数の国により混沌化するといったものです。ソ連崩壊後の安定した経済化の当時は、当然のごとく第一シナリオが有力に感...