2020年10月26日月曜日

日本人が求心力

 2006年のベトナムのWTO加盟より日系企業のベトナムへの進出が加速してはや14年、労賃の安いベトナムでは日本人材の人件費が際立つこともあって、現地化の声が高まっています。「現地の事は現地の人に任せるのが一番」と誰もが考えることですが、特に幹部人材の現地化は一筋縄ではいかないようです。

□ベトナムの事はベトナム人が一番よく分かっている?

 ベトナムの事はベトナム人が一番よく分かっている。そう考えるのはごく普通のことでしょう。ベトナム人材の採用にあたっては、ベトナム人従業員に面接をお願いし、より良い人材を見極めてもらおうと期待します。しかしながら、いざ面接をしてもらうと「あの人は経理の資格を持っています」「3年間の経験があります」など、履歴書を見ればわかるような表面的なことばかり。「あの人はまじめに働いてくれそうかな」と聞くと、「私はあの人ではないのでわかりません」という始末。日本人同士でも人を見る目というのはそうそう身につくものではないですが、もとよりいつ裏切られても仕方のないベトナム人同士では、人を見抜くということにはそもそも諦めさえ感じます。少なくとも要職につくベトナム人材の採用面接には日本人も同席することが必須です。
 また、従業員の数も増えてくると、コアとなるベトナム人材に一手に部下を束ねてもらいたくなりますが、これも容易ではありません。民間企業が芽生えて間もなく、公務員か農民がまだまだ一般的なベトナムでは、人を束ねる立場につくベトナム人には相当の高学歴か、政治力のある家系か、相応の年齢が求められます。そうでないと、部下となるベトナム人は言うことを聞きませんし、もとより人間関係のわだかまりを嫌うベトナム人材は、人心掌握を期待しても積極的に部下とかかわり合おうとはしません。
 一般的に人を束ねられるベトナム人材は、先記の要件を満たしたうえで面倒見がよく、親分肌の政治上手な人ですが、そうしたベトナム人材に巡り合うのは至難の業で、これはと思うベトナム人材を根気よく育てていくよりなさそうです。

□日本人材が求心力
 かつての日本人が、アメリカ人とみれば優秀で人格者だと思ってしまったように、ベトナム人材は外国人、特に日本人には相当に高い下駄をはかせてくれています。日本人の意見であれば正しいものと思ってくれますし、ともすれば全ての判断が日本人に集中してしまうほど、信頼(もしくは責任逃れ)してくれます。
 そのため、日系企業では日本人が信頼できる権威者としての求心力となります。日本人が先頭に立ってベトナム人材をまとめていくとともに、これはと思えるベトナム人材に求心力を持たせるべく、働きかけていく必要があります。

1. 慶弔行事はかかさない
 結婚式にお葬式、はたまた子供の誕生日会など、年齢層の若いベトナム人従業員からのお誘いは絶えることがありません。しかも、2~3日前に報せがあることが悩みの種です。しかしながら、従業員からの信頼を裏切らないことと、従業員の両親に「お宅の子には期待していますよ」と伝える意味でも慶弔事への参加はかかせません。「休みなのになあ」と愚痴らず、出席することをお勧めします。旧正月前に全従業員の両親宛に社長自ら手紙を書いて持たせる会社もあります(旧正月後に復帰することを期待して)。

2. 日本人が手本となる
 ベトナム人従業員にしてもらいたいと思うことは、まず日本人が率先して行い、手本となることが必要です。朝はもとより廊下で従業員とすれ違ったら挨拶をする、床のゴミを拾う、現場に赴き従業員に声をかける、昼食を食べ残さないなど。ベトナム人従業員は日本人の振る舞いを見ています。カラオケでの武勇伝など、親しい従業員から尋ねられることがありますが、素直に答えないほうが良いでしょう。

3. これはと思う従業員を権威づける
 日本語が上手、気が利くなど日本人から見て使い勝手の良いベトナム人材に目をかけがちですが、上記のような日々期待する行動が自然にできるベトナム人材を候補として見据えるべきでしょう。ただ、そのままでは他のベトナム人従業員からの人望を得られるわけでもありませんので、意識的にそうした候補者を権威づける必要があります。重要な仕事の意思決定を任せる、「あの人に聞いて」など意識的に日本人経営者からの信頼を得ている、正しい仕事の仕方をしていると、他の従業員にアピールする必要があります。そうするうちに、「あの人のやり方を見習えば良い評価が得られる」と従業員の手本としての信頼が集まります。その上で管理者としての人格教育を施していくこととなります。

0 件のコメント:

コメントを投稿

果たして経営の現地化は進むか

 90年代後半、世界経済の3つのシナリオというのを目にしました。世界経済は大国のもと一様化するという第一のシナリオ、少数の強国に収れんされるという第二のシナリオ、そして複数の国により混沌化するといったものです。ソ連崩壊後の安定した経済化の当時は、当然のごとく第一シナリオが有力に感...