2021年5月10日月曜日

契約の詳細化と効力

 ベトナム居住の皆さんには、既に経験済みの方も多いと思いますが、ベトナム企業のサプライヤが契約を履行しないケースはよくあります。弊社事務所の引越に伴い、「金の切れ目を」迎えた業者があり、そうした業者からは「縁の切れ目」よろしく、敷金や担保金を返金しないという仕打ちを受けました。幸い被害は小さく収まったのですが、約束を重んじるいち日本人としては、なんとも腹立たしいベトナムの事業環境の現実を再認識させられました。

□ 約束は「朝令暮改」がベトナム流
 ベトナム要人とのアポイントに際してもよくある話ですが、面会の約束が直前になってキャンセルされることはよくあることです。多くのベトナム人材は短期視点で優先順位を考えるため、先回りして約束すればするほど、後で反故にされる可能性が高まります。そのためもあり、結婚式への要人の招待などは先方の優先順位検討の思考範囲に入る1週間前ほどに通知、何度も連絡して優先順位を高め、約束を取り付けます。
 どうにも、契約書についても同様の傾向がうかがえるようです。契約内容の履行を促すレターを送付すると、総じて「現状に即して考える。契約書は関係ない」と、日本人には理解のできない返答が返ってきます。
 日本人的には契約書は法的拘束力のある、契約当事者双方が権利・義務を負う約束事であるとの認識なのですが、ベトナム人的には「契約した時点では合意したが、今は状況が異なるので、契約書に従うのは不合理である」との理屈なのでしょう。

□ 契約書は最後の法的手段。証拠資料は正式資料として残す
 契約書に署名・捺印することの意義が理解されていないことは、甚だ未成熟な事業環境のベトナムの悲しい現実ですが、「契約書とは。。。」と演説をぶっても、ベトナム企業に契約の履行は期待できません。もとより、当事者の一方が契約書に従わない場合は、裁判所や仲裁所の判断を仰がなければ、契約書に強制力はありません。
 「外国企業とは綿密な契約書を作るべし」というのは多くの方が既に日本にて学んでいる常識ではありますが、残念ながら緻密な契約書を作れば、紛争が防げるというものではなく、緻密な契約書はいざ裁判や仲裁となった段になって役に立つ、頼みの綱です。また紛争解決が最終的には裁判や仲裁によらざるを得ないことを鑑み、契約履行に関する相手方とのやり取りはできるだけ文書で取り交わし、証拠書類として残しておくことが必要です。公式文書の書き方のわからないベトナム企業は担当ベトナム人の携帯に直接電話をして、罵声を浴びせ、脅すこともありますので、通話内容を録音する準備もしておくべきでしょう。

□ 生じうる紛争を想定して契約書を作る
 まだまだ裁判や仲裁が紛争解決の手段として一般的でないベトナムでは、一般の事務スタッフは契約書の意義も理解していないことが多くあります。既に十分な様式が容易されていれば幸いですが、様式を一から作らせると、「物品Aをxx個、xx日までに納品する」といった注文書のような契約書ができてきます。
 契約書が意味をなさない現実を知るベトナム人材には、手の込んだ契約書を作ることを面倒がる節もありますが、もとより契約書は紛争の早期解決を目的として作るものと理解を新たにし、「もし違う部品が納品されたら。。。」「もし数量不足が生じたら。。。」「もし納期遅延が起きたら。。。」と、いわゆるWhat if分析を駆使して契約書を作ることを進めたいものです。
 ベトナム企業が契約書を法的拘束力のある合意事項を表す書類だと理解し、尊重することが理想ですが、残念ながら現状は、まだ外国企業に取って十分に仕事がしやすい事業環境には至っていません。日本のような少額裁判制度や行政による指導を進め、いち早く外国企業が安心してベトナム企業と仕事ができるような環境が整うことを期待します。

2021年5月3日月曜日

目的と目標

 弊社のベトナム人材への指導にあたって、筆者が一番多用している質問は「目的は何?(Mục dich la gi?)」でしょうか。新任赴任者向けのセミナーにて、「仕事の目的を念頭に作業をする」といった話を披露したところ、セミナーにオブザーバ参加していたベトナム人から、「依頼者に失礼になるので、ベトナム人は依頼者から指示された内容に疑問を持たず、言われた通りにするのです」とのコメントをもらいました。
 やはりベトナム人材と日本人材では、「仕事をする」ことの意味の捉え方に違いがあるようです。

□ 盲目的な「上意下達」がベトナム流
 先日、業者への業務依頼にあたり、業者との契約書を弊社のスタッフが持ってきました。

部下:「社長(Sep)、業者が公式領収書を発行するのに契約書が必要なのでサインしてください」
筆者:「ちょっと、待って。領収書発行のために契約書が必要なのではないでしょう?契約書の目的は何?」
部下:「だから、公式領収書が必要なので、契約を結ぶ必要があるんです。。。」
 伝統的なベトナム人の就業感が、家族企業の経営者にあれこれ指示されることを、ただ盲目的に実施する使用人的な感覚だとは、以前より何度か本コラムにも書かせてもらっています。これに加えて、いざ依頼した「作業の目的」はなに?と、問うとなかなか回答できないケースや誤答が返ってくるケースもままあります。

□ 顧客視点から目的を策定する
 先月は「作業の計画立案」の研修講座をベトナム人材向けに開催しましたが、講座の演習にても受講生が「作業の目的」を見誤っている例が見られました。例えば、「ウェッブサイトを構築する」作業の目的を「ウェッブサイトを期日までの構築し終える」と定義してしまうようなケースです。こうした目的の定義をしてしまうと、いわゆる手段の目的化がされてしまい、本来依頼者(顧客)が期待する、「ウェッブサイトを通じた集客」といった目的を果たすための施策を全く考慮せず、ただウェッブサイトを構築して作業が終わり、となってしまいます。
 作業計画立案の第一歩は作業の目的の定義となりますが、まずは作業を依頼するには目的をどのように理解しているか確認すること、また目的を定義する際は顧客(もしくは依頼者)の視点から定義することを指導していきたいものです。

□ 目標は目的の達成度を測る評価指標
 目標(mục tieu)には比較的慣れ親しんでいるベトナム人材も多いように思います。しかし、目標に目を奪われ、本来の目的に気づいていないケースもまま見られます。例えば、「コスト削減:10%」といった目標があると、購買部の担当者は「業者と値引き交渉する。より安い業者を探す。」といった施策を提起してしまうケースです。本来の経営者の思いは「会社のコスト体質の強化」であっても、ひたすら目標達成に向けて、業者たたきに終始してしまいます。
 目標には必ず目的があり、むしろ目標は目的の達成度を測るための指標であり、目標を達成しても目的が果たされないのであれば意味をなさない。ということはしっかりと伝えておきたいものです。また、とかく目的が見過ごされがちですので、目的を明示するとともに常に目的を意識させていくことが大切に思います。

 「言われたことをするだけではなく、主体性を持って仕事に取り組んで欲しい」。経営者の皆さんから良く聞かれるベトナム人材の成長への期待です。主体性を持った仕事の第一歩は正しい目的の理解となります。皆さんも「Mục dich la gi?」を活用されてはいかがでしょうか。

2021年4月26日月曜日

学び方を学ぶ

 数年前、ハノイ市内の大学が日本式学士課程を立ち上げるというので設立式典にお邪魔しました。式典はさておき、質疑応答の時間に他大学のベトナム人先生より、「ベトナムの教育は知識偏重で、考える力が養われておらず、実務で役に立たない。本課程ではどのように考えるか」と、なかなか鋭い質問があがりました。
 残念ながら担当者は質問者の意図が理解できなかったようで、「本課程は実務に沿った、実社会で役に立つ内容とします」といった、まとはずれな回答となっていましたが、ベトナムでの教育に問題意識を掲げるベトナム人もいるのだと関心するとともに、そうした問題意識がまだ一般的ではない現状が見て取れました。

□ 「能力=知識×経験」がベトナム流
 「応用力が弱い」そんなコメントも当地の日系企業経営者よりよく頂きます。弊社の研修講座でも、皆さん一生懸命にメモを取るのですが、思考をめぐらす様子はあまり窺えません。受講者に考えさせようと質問に質問で返すと、「私が質問しているので、答えてください」と安易に答えを望む傾向もみられます。
 ベトナム人材に「優秀な人とはどんな人?」と問うと、「専門知識をたくさん持っている人」や「経験豊富な人」といったような回答が多くあり、「能力=知識×経験」の方程式が見えてきます。また「頭の良い人とは?」という問いには「すぐに答えが出せる人」といったように、いわゆる「頭の回転の速い人」が頭の良い人との理解があるようです。
 まとめると、外部から与えられた知識や経験を吸収し、すばやく引き出すことのできる人が能力の高い人、といった定義となりましょうか。残念ながら、発想力や洞察力、構想力などといった、外部から与えられるものではなく、自ら生み出す力については、まだあまり着目されていないのが現状のようです。

□ 学び方を学ぶ
 いわゆる、勉強は得意だが学習が苦手と言えそうなのがベトナム人材でしょう。よく見られる課題は、自身の発案に自信過剰となってしまったり、思考が浅く陳腐な発案となってしまうことでしょうか。
 「勉強」は知識や経験を蓄えること、「学習」は知識や経験を受けて行動や判断が変わること、とも言われます。まずは学び方を身に付け、頭でっかちの物知りになるのではなく、より良い行動・判断ができるよう自分自身を変えていく、学習ができるようになって欲しいものです。

- 無知の知
 勉強好きの成果か、勝ち得た知識について絶対の自信を持ってしまうことが思考を妨げる障壁なります。また自身の考えに固執し、他人の意見に耳を貸さないベトナム人材もままおり、こうした人材には正直お手上げです。
 「金槌しか道具がないと、全ての問題が釘に見える」と言いますが、自身の持っている知識に慢心せず、まだまだ知らないことの方が多いということを念頭に、「知らないということを知ることが、知ることの始まり」という姿勢で、新たな知識や他人の意見に耳を傾けることに貪欲になって欲しいものです。

- 視点・視座・視野
 日々の業務で常に提案をするように働きかけると、自分なりに考えて提案してくれるのですが、あっさりとは承認できないことがままあります。多くは考える際に考慮点がかけており、「その案だと後々問題が起きるよね」と指摘すると、「あー。そうですね。思いつきませんでした」となり、再提案を繰り返すうちに諦めてしまうというオチとなります。
 視点(異なるものを見る)視座(異なる立場から見る)視野(広く・長く・深く見る)とも言いますが、常に多面的にものを見る習慣を身に付けたいものです。

- 仮説検証
 他人の意見や批判に耳を傾け、様々な視点・視座・視野から検討を繰り返すのが思考のプロセスですが、思いついたままのアイデアを最終案として結論付けてしまうことが課題です。自身のアイデアはあくまで仮説であり、検討を繰り返しアイデアを検証、誰もが納得できるアイデアに磨き上げる思考のプロセスを身に付けたいものです。

 知っている知識に基づいて、質問に即応的に回答するスタイルが常套のベトナムでは、まだまだ「考える」という作業は真新しいものに感じます。「勉強」から「学習」へ進化し、知識に頼るのではなく自身を磨くよう、学び方を学んで欲しいものです。

2021年4月19日月曜日

決め方を決める

 顧客クレームへの対応や新製品の導入時など、部門間での会議で結論が出ずに、日本人管理者に判断を求める。よく伺う会議や議論におけるベトナム人材の課題です。
 もとより値段をふっかけている土産物屋を除き、一般の商店では「嫌なら買うな」とでもいいたげな店主の交渉の余地のない態度を見れば、推して知るべしともいえる状況かと思います。

□ 上意下達の意思決定がベトナム流
 親族経営が中心のベトナムでは、経営者がすべての決断を下し、従業員は盲目的に指示に従うだけというのが一般的です。従業員は経営者に求められれば意見は言いますが、あくまで決めるのは経営者で、経営者の判断が気に入らなければ会社を辞めるか指示を無視するかです。ともすれば、上司ではあっても雇われの管理者には決定権もなく、もしくは経営者の判断で容易に決定が覆るため、従業員も管理者を飛び越して経営者の顔色をうかがいます。
 また、市場経済が導入されて間もないせいでしょうか。先の商店主のように一般には交渉や妥協をするような習慣はなく、一方の提案に他方はYESまたはNOを返答する、合意に至らなければそれでおしまい。というのが通常の取引の仕方です。むしろ、交渉しようとすると「騙そうとしているのではないか」と嫌な顔をされます。

□ 決め方を決める
 上記のような状況から、ベトナムにおける対等な個人間での合意形成は、互いを慮り、着地点を見出そうとする日本的な集団的意思決定とは対極的、もしくは未知の世界ともなります。
 このため、全当事者が納得できる案を自ら導けるようになるには、議論に参加する人たちの考え方や議論の仕方を一から教育、磨き上げていく必要が出てきます。

- 議論の目的を明確にする
 ベトナム人材のよくある未理解の一つは、議論の目的を明確にしていない点です。議論の目的を「議論すること」としたり、「対応案を選ぶ」とするなど、議論そのものが目的化、もしくは異なる意見のいずれかを選ぶ、と考えていたりします。
 「顧客の満足を高める」など、議論の目的を、全当事者に共通する具体的な目的として定める必要があります。

- 意見ではなく論点に注目する
 先にあげたように、議論の場では各当事者の意見に賛成か反対かを述べるだけにとどまることが良く見られます。このため、議論の場が意見の押し付け合いになり、容易に決裂します。
 新製品のテストのために「生産ラインを止めるか、止めないか」といった意見にとらわれるのではなく、意見の背景にある、「ラインを止めると残業が増える、至急のオーダが入っている」など論点に注目し、論点を解消するアイデアを生み出すことで合意に結び付ける議論の仕方を身に着ける必要があります。

- アイデアは吟味するのではなく、積み上げる
 一つアイデアがあると、ああでもないこうでもないと賛否の応酬が続くのもよく見る光景です。自身の考えに執着し他人の意見に耳を貸さないベトナム人材の最も克服が困難な課題かと思います。
 他人のアイデアに耳を傾け、どうしたらより良いアイデアとなるか、アイデアを加え・積み上げる。それが理想ですが、なじむまでには努力と忍耐が必要です。

- 議論のルールを定める
 中には、自身に不利な議論には参加しない、結論が出ても従わない人もいます。
 会議が招集された際には必ず参加すること、皆で決めた案には従うことなど、議論のルールを社内で定める必要がある場合もあります。

 現地化・自立化に向けて、社員の主体的な意思決定を期待したいところですが、特に対等な個人間での合意形成はベトナムでは容易ではありません。議論する習慣も少ないことから、まずは「決め方を決める」ことから始めていく必要を感じます。

2021年4月12日月曜日

変わっていくもの、変えていくもの

 今年も年度替わりの時期を迎え、帰任や赴任の声を多く耳にするようになりました。筆者は帰任などの予定はなく、いよいよ在越15年目を迎えます。親しくなった方とのお別れの時期でもありますが、赴任される方との新たな出会いに巡り合う時期でもあります。今回は、ベトナムというアウェーの地で新たに経営に当たられる、赴任者の方に向けてエールを送りたいと思います。

□ アウェーの地で日本的経営の理念を叫ぶ

 洪水のようなバイクの流れや路上に溢れるゴミなどは、ベトナムのような途上国での経験の浅い方にとっては「なんと常識のない国」と呆れざるを得ない光景でしょう。しかしながら、未だに混とんとも見えるベトナムの日常は15年前に比べれば、格段に進歩を遂げています。以前は7割のドライバーは信号を無視していましたが、今は2割程度に減りました。タクシーの運転手も「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えるようになっています。15年前は想像もできませんでしたが、他国と変わらずベトナムも時代の流れに沿って変わっていくものも多いのだと実感します。
 赴任先としての人気も高まりつつあるベトナムでは、行き届いたサービスアパートに住み、日本語のできる運転手とともに会社に迎い、日系の取引先と商談・日本語のできるスタッフを介して指示を出し、日本料理屋で夕食を取り、週末は日本人の仲間とゴルフをすれば、あたかも日本で仕事をしているような感覚で過ごすことも可能となってきました。ところが、うっかり気を緩めていると、信頼するスタッフの突然の離職や、役所からの理不尽な要求、親玉従業員による会社の乗っ取りなど、ここはベトナムであると、はたと目を覚まされる仕打ちに会うこととなります。
 良く耳にするのが、「こんな事は、日本ではありえない」という言葉です。当然ですがここはベトナムです。在越邦人は1万5千人ともいわれますが、ベトナム人口の9千4百万人に比べれば、日本人は6,200人に1人。日本で言えば、町で唯一の日本人といったマイノリティです。また、ベトナムの労働人口は5千4百万人ともいわれますが、外資系企業に勤めている人は8%程度ですので、5千万人は外国企業での仕事の仕方など知る由もありません。
アウェーの地で経営に当たっているという意識は常に念頭に置いておきたいところです。

□ 変わっていくもの、変えていくもの
 第3次インドシナ戦争を含めれば、ベトナムが戦争から解放されたのは1990年以降。現在の30代以前のベトナム人材が戦後世代となります。確かに最近の新卒者は考え方もあか抜け、ベトナムの豊かな成長を期待させます。しかしながら、こうした人たちが世相の中心となり、先進国と同様の価値観が当たり前となるには、まだあと30~40年は必要でしょう。
 社会の発展とともに人も変わっていくベトナムですが、そうは言っても40年は待っていられません。積極的にベトナム人材を変えていかないと、伝統的なベトナム流の価値観・振る舞いに飲み込まれてしまいます。
 特に根深いのが、家族第一の価値観に基づく就業感や対人関係から生じるトラブルでしょう。ベトナム人材が日本のような会社人間になることはあり得ませんが、組織の一員として使命感を持って働くように方向付けをしていくことは可能です。

- 会社は従業員の協働の場
 ベトナムでは、国営企業も含めて親族経営の企業が多く、一般の従業員は経営者の指示に従って手足として働く使用人のような就労意識を持っているケースが多くあります。
 積極的に経営に参加し、主体的に発案・行動して協働体としての企業価値を高める従業員への期待は明言したいところです。

- チームで働く
 ベトナムでは、上意下達の指揮命令系統のもと、職務を細分化して各人が個人として仕事をするのが一般的です。
 組織において優秀な人とは、個人として優秀なのではなく、チームを成功に導ける人だという期待も明言したいものです。

- 仕組みで仕事をする
 世界的にも稀有な日本の終身雇用を前提とした仕事の仕方は、属人的な業務運営を導きがちです。ベトナムは他国と変わらず、人材は流動します。流動するベトナム人材は、後任の苦労など慮るはずもなく、経験や知見を雲散霧消にして職場を去ります。
 人に依存せず、仕組みで仕事をする体制作りを進めましょう。仕事を手順に落とし込む、情報を集約するなど、個人の経験や知見を会社の財産として蓄える作業を日常業務に織り込んでいきたいものです。

 他にも、新しく赴任された皆様には日々新鮮な驚きがあろうかと思います。人は変われど安定して成長する会社は、朱に交われば赤くなる風土が確立されている会社のようです。赴任ミッションだけでも大変な日々と思いますが、長期的な拠点の成長に向けて、日本的経営の理念を叫び続けていただきたいとエールを送ります。

2021年4月5日月曜日

理由か原因か?

 ミスを指摘すると、言い訳が止まらない。よく耳にするベトナム人材の課題です。また、問題の原因を問うと「作業者が注意をしていなかったため」「手順書に記載がなかったため」といった言い訳めいた分析結果を回答するケースも良く見られます。弊社の研修講座の中では、こうした間違いを指摘する際に「それは原因ではなく理由でしょう」とコメントします。すると、受講生は比較的すんなりと間違いを受け止めてくれるようです。

□ 理由と原因の違い
 理由と原因の違いを説明せよと言われると難しいのですが、理由と原因が異なる意味合いの言葉であることは誰もが理解するところでしょう。ベトナム語でも理由(lý do)と原因(nguyên nhân)では異なる表現が用いられ、意味合いの違いは日本語の理由と原因の違いに似通っているようです。
 そこで、あらためて理由と原因の違いを少し調べてみました。
 辞書によれば、理由とは「物事がそうなった、また物事をそのように判断した根拠。わけ。子細。事情。」原因とは「ある物事や、ある状態・変化を引き起こすもとになること。また、その事柄。」とのことです。
 辞書の文言を見るだけでは大きな違いは見られませんが、ひとつ着目すべきは、理由には「判断した根拠」が含まれることでしょう。「お腹が痛いので会社を休む」といったように、「お腹が痛い(理由)」状態を判断した結果、「会社を休む(行動)」といったように使われます。
 次に英語で理由(Reason)と原因(Cause)の違いを調べてみると、わかりやすい説明がありました。“A cause is the one that produces the effect. On the other hand reason refers to a thought or a consideration in support of an opinion.(原因は結果を生み出す要因。理由は意見を正当化する考え)”。
 ベトナム語では原因と理由の違いの説明は見つからず、辞書を見ると、理由(lý do)は“Điều nêu lên làm căn cứ để giải thích, dẫn chứng(意見の根拠や証明)、原因(nguyên nhân)は”Điều gây ra một kết quả hoặc làm xẩy ra một sự việc, một hiện tượng(結果や事象・現象を引き起こすもの)“となっており、日本語や英語と同様の意味合いの違いが見られます。
 上記から問題解決などの仕事で多く用いられる理由と原因の違いは、理由が「主観的な説明」原因が「客観的な事実」とでもいえましょうか。

□ それは「理由」か「原因」かを問い、原因究明を促す
 一般にもベトナム人材は日本人と同様に「理由」と「原因」の違いを理解しており、「それは原因ではなく理由だろう」と指摘するだけで、間違いに気づいてもらえる場面も多くあります。
 本人が気づけない場合には、「手順書に記載がなかったから不良が生じた」などの原因分析結果は、「では、手順書に記載がなければ、必ず不良が起きるか?(他の人は手順書に記載がなくとも正しく作業ができている)」と確認すれば、それが原因ではなく理由であることが判明します。また、たまに「原因がたくさんあり、問題が解決できない」という声も良く聞きますが、これも正しくは「原因となる可能性がある要因が」たくさんあるであって、問題を“実際に”起こした原因がたくさんあるわけではないと説明すれば理解できるかと思います。 自身の分析結果が原因ではなく理由であることが理解されて、次の課題は真の原因探しですが、これが容易ではありません。以前の記事にても記載しましたが、「さて、どうして問題が生じたのか」と考えても答えが出てきません。多くの場合、実際に問題が生じた状況や作業者の作業内容などの実態を知らない場合が多いためです。「分析」というと高度な能力が求められるように思われがちですが、やはり大切なのは「現地・現物・現実」なのでしょう。

2021年3月29日月曜日

公平なベトナム人と公正な日本人?

 日越ともに年も新たまり、今年も頭の痛い人事評価の季節がやってきました。結果や評価はともあれ、なんとか自身の期待する給与水準に近づけるため、あれやこれやと理由を積み上げるベトナム人材に時間を取られる評価面談は気の重い年中行事です。そんな評価面談でベトナム人材から良く聞くのが「それはアンフェアだ」というコメントでしょう。そもそもフェアとはなんなのか、日本人とベトナム人ではフェアネスという言葉への理解に違いを感じます。

□ 公平に重きを置くベトナムと公正を重んじる日本?
 似て非なる日本語に公平と公正があり、多くの日本人は両方の意味を込めて“公平”と表現しているように思います。公平・公正ともに翻訳をすると、英語では“Fairness”、ベトナム語では“Công bằng”と訳され、公平と公正の違いは意識されずに、ベトナムでも使われているようです。
 そこで、あらためて公平と公正の違い調べてみると、公平とは“2つ以上のものへの対応や扱いに差がないこと”、公正とは“個々のものを同一の基準に照らして対応や扱いを決めること”とのことです。例えば、サッカーの試合で退場者が出てチーム間に人数差が生まれることはままありますが、「公平」の観点からすれば、こうした状況下での試合は「公平」ではないとも言えましょう。一方でルールに従って退場者が出たのだから、この試合は「公正」に行われたとも言えます。
 どうにも、評価面談での議論は「公平」を主張するベトナム人材と「公正」に評価を行おうとする日本人とのせめぎ合いとなっているようにも思えます。ベトナム人材は、同僚と比べていかに自分が不利な立場にあるか(家が遠い、家族が多いなど)や、自身が勝っているか(より難しい仕事だった、困難な環境も克服した)など同僚と比べた評価の公平性を主張します。一方で日本人(評価者)は、状況がどうあれ結果は結果、評価基準に照らした公正な評価結果を受け入れるように主張します。
 日本でも「三方一両損」といった逸話で語られる「大岡裁き」のように、紛争を丸く収める判断を人情味があって良いとする側面もあります。しかしながら、ケースバイケースで判断が異なる「大岡裁き」は法律家からは正しい裁きではないとの意見が多く、また一般には「車がいなくても赤信号では止まる」といったように時々の状況より規範を重視するのが日本人的な考え方とも言えましょう。
 一方でベトナムでは、「公正さ」よりも個々の事情を斟酌した「公平さ」がより尊重されるように見受けられます。裁判での判決などの例を見ると、麻薬を中国から密輸したベトナム人女性が、学歴が低く、また夫と子供2人を中国に残していることから極刑を免れ、終身刑へ減刑されたなど、日本では考えられない個人の事情に応じた情状酌量がされています。また、労働法にも有給休暇での往復移動日数が2日間を超える場合は3日目以降は追加の有給休暇が処遇されるなど、個人の事情に配慮した規定があります。
 改革開放以前の皆が同じ生活水準であることを良しとする風習の名残か、総中流意識と言われる日本と異なり、格差が前提にあるベトナムだからなのか、定かではありませんが、ルールはあるものの、個別事情に応じて斟酌されるのが好まれるように感じます。

□ 公平と公正を峻別し、「公正」に仕事を回す
 一般にベトナム企業では日本企業以上にルールや罰則が多く、弊社のような教育事業者が研修講座を開催する際にも参加者一人一人が会社と研修契約を結び、欠席やテストの不合格があると罰金を徴収されるなど、非常に厳しい条件の下で仕事をしています。しかしながら実際の運用上はトップの強力な権限のもと、個別事情に応じた采配がされており、ルールは「公正」には運用されていません。むしろ個人の事情やその人の仕事上の価値を斟酌した采配の上手な政治家タイプの管理者が有能な管理者とも言えましょう。
 さりとて、日本人はこのような微妙なさじ加減を運用する能力にはもとより長けていませんし、政治家タイプのベトナム人管理者を雇っても、その人が抜ければ後には混沌が残るだけです。ベトナムの法制度も徐々に判例主義を取り入れ、同一事案は同一の刑で処するように変わりつつある状況を鑑みれば、時間が解決していく問題にも思えます。
 勤続・経験年数で処遇するのが公平と考えるベトナムの伝統的な考えはむしろ排し、社会や人はもとより不公平なもので、どのような状況下にあれ公正に同じルールのもとで競争をしていくのが市場経済下での民間企業のあり方だと徹底していく必要があるのかも知れません。 ともすれば、意味を曖昧にしたまま使ってしまいがちな言葉の一つが「公平と公正」と思います。受け止められ方が異なることを前提に、あえて「公平」という言葉は使わず、ルールや標準をベースに仕事を回す「公正さ」を意図的に流布していく必要があるやも知れません。

2021年3月22日月曜日

果たしてベトナム人材の離職率は下がるのか

 このところ、「ベトナム人材の離職を抑えるには」のような題のセミナーをよく見かけます。弊社にても昨年は数名が退社し、せっかく育ってきた人材が辞めていくのは惜しいものです。しかしながら、「結婚を機に主人の職場に近いところに移る」「両親の体調が悪く、介護しなければならない」「海外で働くのが夢で仕事が見つかった」など、むしろ手を振って送り出したい離職が多く、果たして離職率は抑えられるものなのか、首をかしげる部分もあります。

□ 日本は勤続年数世界一の国

 筆者の経験では、組立て中心の製造業で3~5%、加工や熱・匂いなどの比較的重労働な職場で8%程度が一般的な離職率のように感じます。入社して間もない人が辞めることが多いですが、年間では概ね2割は人が入れ替わるのがベトナムと言えましょう。
 こうした状況から日本との比較で「ベトナムではすぐに人が辞めるんでしょ」というような声もよく耳にします。これはその通りなのですが、一方で「人がなかなか辞めないのは日本だけです」という日本の特殊性にも目を向けたいと思います。
 2013年の厚生労働省の調査によれば、日本は25~54歳の男性のうち、5年以上勤務している人は全体の70%を超え、OECD加盟国の中で1位です。一般にも日本人は「最低5年は務めるべき」と考えるのも頷けます。一方で、5年以上勤務している人の割合が最も低いのが、オーストラリアで50%を割ります。次いで、アメリカやカナダが50%強です。ある民間企業の調査ではベトナムでは3~4年での離職が最も多く22.4%、5年未満では57.5%が離職するようです。タイでは5年未満での離職が54.3%となっています。ベトナムやタイはオーストラリアに似た状況のようです。
 こうしてみると、確かにASEAN途上国の離職率は相対的に高いですが、日本のように7割の人が5年以上同じ会社に勤めるというのはむしろ例外的で、概ね4~5割の人が5年以内に会社を去って行くのは世界的には正常な範囲と捉えるべきでしょう。

□ 使用人的なベトナム人材の就職観

 日本での就職は「就社」とも揶揄されますが、長く務めることを前提とした就職観となっています。しかしながら、日本特有の「就社意識」は世界ではまれで、ベトナムも例外ではなく就社ではなく「就職意識」です。
 町を見渡せば自明の通り、ベトナムでは就労人口の6割以上がいわゆる自営業に従事しており、家族を養える事業を持たない3割程度の人たちがいわば使用人のように自営業者や会社に勤めています(日本は8割)。こうした人たちは、いずれは家族を養う事業を立ち上げるのが花道となり、自ずと腕を磨く就職意識が強くなります。知人のタイ人は「3年経って他社から声がかからない人は優秀ではない人」とも言います。概ね3~5年で、今の会社で学べるものは学んだと考えるのでしょう。
 また、在越の皆さんが口を揃えて言う、ベトナムの「家族第一主義」も離職が多くなる理由の一つでしょう。体を悪くした家族の介護はやむなしとしても、入学・結婚・出産・引っ越しなど、頻繁に生じる家族イベントの結果、家族を支援するために離職を余儀なくされるケースも多くあります。家族の誰かが事業を立ち上げるとなれば、会社はそっちのけで事業に参画するのは家族の一員として最優先の事項です。ちなみに、給与が安いために会社を辞めるというのは良く聞く理由ですが、事情を問い詰めると家族が土地や家を買うためだったり、一緒にアパートを借りていた親類が転居するので家賃が払えないなど、「給与が安い」というより「給与では足りない」というのが実際の理由のことも多くあります。

□ 人の移り変わりを前提に、仕組で会社を動かす
 他人と打ち解けて接せず、ともすれば排他的になってしまうベトナム人材は、冷めたい職場の人間関係やとげとげしい雰囲気が離職の理由となることも良くあります。オープンで活気のある職場つくりを進めることはベトナム人材の定着に一役買います。
 しかしながら、いかに会社を第二の家族にしようとも本当の家族には勝ち目がありません。それでも4~5割の人たちは5年内に会社を去るとの心づもりで、いかに人に依存せずに会社を安定的に運営するかを志向すべきと思います。離職率“0”を目指す会社もたまにみかけますが、離職率が低すぎるのも不健全です。従業員全員が昇進・昇格を続けることはありえませんので、一定の離職率のもと人材の新陳代謝が行われることはむしろ会社の永続に必要となります。 日本企業は仕組化が苦手と言われて久しいですが、ここはベトナム。日本でも仕組み化のもとで成長したマクドナルドやディズニーランドにならい、仕組で動かす会社作りを筆者も目指しています。

2021年3月15日月曜日

組織風土って大切ですよね

豊富な若年労働者や賃金水準の相対的な低さを魅力にベトナムに進出したものの、中国の6割程度とも言われる生産性や未成熟な社会インフラ・人材に悩まされ、ともすれば日々の生産・受注の達成で手一杯となっている会社もあるやも知れません。知らぬ間に、部門間の言い争いが絶えない、新入社員から辞めていくなどの問題が生じ、ご相談いただくことがありますが、問題の根源が組織風土に根ざしていると見られることも良くあります。

□ ほっておけば必然的にベトナム流に
 当たり前のことですが、ここベトナムは日本とは異なります。日本ならば奇異に映るバイクの逆走も、食べカスを床に捨てる習慣も、道を間違っても謝らないタクシーの運転手もここベトナムでは日常的な光景です。
 若い人から徐々に垢抜けて来ていますが、会社の中核を担う30代以降は伝統的な価値観が染みついているケースが多く、当然のことながら特に何もしなければ会社のベトナム人材はベトナム流に振る舞います。

- ベトナム組織は雇われ人の集まり
 ベトナム組織は職務ごとに個別に採用されるケースが一般的で、決まった内部昇進の手続きがないことが多く、上司・部下と言っても日本のように主従・徒弟関係があるわけではなく、役割が違うのみです。従って、部下を育てるといった発想はもとよりなく、部下の失敗も報告はすれど、注意はしません。部下の失敗は部下の失敗、あくまで職務を担当する個人として責任を取ります。

- 他人の畑には踏み込まない
 上記から、各人の役割はむしろ明確に分けることを好み、他人の役割に口を挟むことはご法度です。他部署と関わり合うことを基本的には避けますし、ひとたび衝突が起きると激しくぶつかり合います。また、職務を果たす上では比較的自由に行動でき、職権を活用して血縁者を採用・当用したり、私腹を肥やしたとしても職務が全うされる限りはある程度目をつぶってもらえます。

- ベトナム人が3人で穴に落ちると助からない
 上記はベトナム人の特質を皮肉る冗談ですが、察しのとおり、互いに足を引っ張り合うということです。人との軋轢を嫌うゆえか、目立つこと、競争し合う(ぶつかり合う)ことを避ける伝統的なベトナム人材は水面下で互いの足を引っ張り合います。自身が競争相手より抜きんでるというよりは競争相手の失脚を誘って、それとなく遠慮深げに抜擢されることを好むようです。 こうした特質を理解しているが故に伝統的なベトナム人材は慎重で、私情を明かさず、他人に弱みをみせない、または弱みを指摘されたと感じると徹底的に守りに入ります。
 こうした組織のベトナム流が浸透していても、皆忠実に職務は果たそうとしますので、事業が堅調に進んでいる限りは問題は表面化しません。しかし、大幅な組織の改訂や役割の見直し、組織横断的な取り組みの推進、ベトナム人内派閥が強くなるなどが生じると途端に問題が表面化し、問題が表面化した際には既に手遅れです。風土の要となっているのは一部の従業員ですが、同時に事業の要となっていることも多く、心変わりは期待すべくもなく、また一掃するのは大仕事となります。

□ 組織風土つくりも進めましょう
 ベトナム人材が必ずしもベトナム流風土を好んでいるというわけではなく、疎ましく思っている人も多くいます。しかしながら、意図して風土つくりを進めなければ自然には日本人にとって当たり前の風土はできません。

- 期待する風土・行動を明言する
 ほとんどの会社では経営理念などを掲示していますが、壁の花になっているケースも少なくありません。日本的な価値観が共有されない中で「単語」だけが共有されても、記憶にとどまらないだけならまだしも誤解を生じるケースもあります。「人は財産」といった標語も「だから僕ら従業員は大切にされるべきだ」と解されたりもします。
 面倒ですが、重要な「ことば」については、その由来や意味、目的などをできるだけ具体的に説明することをお勧めします。「上司の指導を吸収し、自身の顧客価値を高める」など、できればそれぞれの「ことば」が期待する行動を具体的に落し込み、社の行動規範とすることが好ましいです。

- 日本人が手本となる
 日本的な風土の伝道師は日本人です。日本に留学した程度のベトナム人材には価値観の伝道は期待できません。日本人は自らが襟を正し、身を引き締めるとともに、「おはよう、お疲れ様」の挨拶、ゴミを拾う、否定せずに聞く、要点を始めに話すなど、ベトナム人材にも見習ってほしい行動をややおおげさにも取って欲しいと思います。会議で発言をしない、問題に正面から取り組まないなど、ベトナム人材がすぐにも真似をしそうな振る舞いは厳に慎むべきでしょう。

- 風土を根付かせる活動を仕組み化する
 経理理念の流布を委員会活動として推進されている会社もあります。人材のありたい姿をベースに、風土を築き高める活動をベトナム人材が主体となって推進するものです。ともすればチームビルディングを目的とした社員旅行も「慰安旅行」と捉えられがちですし、成長を期待する社内研修も「福利厚生」と捉えたりします。各活動の目的を十分に共有して進めましょう。

2021年3月8日月曜日

ベトナム人材の育成にソフトインフラの輸出を

 某国の国をあげた経済覇権の影響も受けてか、日本でも国をあげたインフラ輸出の勢いが増しているようです。途上国支援と言えば人材育成の面では弊社の事業とも関係が深く、日本の途上国支援の流れが変わるなかで人材育成支援のあり方について筆者なりに考えてみたいと思います。

□ 箱もの支援からソフト支援、そしてインフラ輸出へ
 かつては箱もの支援と揶揄され顔の見えないODAと言われた日本の途上国支援ですが、箱でだめならソフトでということか、専門家や技術者の派遣といった「人を送る」支援へと変わり、ここ数年では民間企業の振興も見据えた原子力発電所や新幹線といったインフラ輸出に注目が集まっている感があります。
 ベトナムでも裾野産業育成から工業国化支援と紆余曲折を経ながら、日本の途上国支援の在り方への変化に伴い、原子力発電所や高速鉄道、製油所、輸出入管理といった社会インフラの輸出に傾倒しつつあるように見えます。

□ 金額の多寡ではなく、絆な作りへの途上国支援
 911テロ以降、混迷を増す世界では、各国の思惑や価値観が入り混じったイデオロギー衝突が各地で起きています。東西冷戦下のパワーバランスが崩れた今日では、先進国と新興国が自らの主張を正当化するための票集めの道具として途上国支援を活用している側面も無視できません。
 このため、これまでの途上国支援は、その金額の大小で評価されることが通例でしたが、これからは対象国とのつながりがどれだけ深まったか、持続的なつながりができたかに変わっていくことでしょう。
 この点で新幹線などの日本のインフラの輸出は、単にレールや車両といった従来型の箱もの支援を超えて、広く運営管理に関わる支援を行うことで、時間厳守や共同作業といった日本の価値観である「和」を輸出し、末永い支援対象国との絆を築く役割を担うことが期待されていると思います。幸いベトナムでは「日本式」が比較的受け入れられやすい土壌もあり、互いの普遍的価値観を共有することで「金の切れ目が縁の切れ目」とならないベトナムとの付き合いが続くことを期待します。

□ 求められるソフトインフラの輸出と民間企業活用
 一方で、「人を送るのであれば箱もの批判は受けない」とも思われるような支援や、民間企業と重複する事業を支援団体自らが行おうとする支援例もいまだに見られます。上記のように途上国支援の意義や役割が変貌する中で、数名の専門家派遣は事前調査は別にして絆の構築も個人レベルにとどまり、国対国の絆作りにはあまりに非力です。また民間企業でもできるような事業を支援団体が実施したところで、多額の費用を投じる割には絆作りができる人数規模に限界があり、日本びいきのベトナム人だけが知る仲間内の組織になってしまいがちです。
 「国家100年の計は人にあり」とも言われますが、絆作りに向けた人材育成では価値観を共有する「人が育つ環境つくり」が重要です。ベトナムの学校で日本語を第1外国語にする取り組みも進んでいますが、語学にとどまらず、日本では当たり前の生徒による清掃や部活動、生徒による給食の配布、運動会や学芸会、高校総体のような活動も絆作りと価値観の共有に向けて検討に値すると思います。また、「人が育つ環境つくり」に向けたソフトインフラとしては、他にも教育制度や公的機関の採用・人事考課、公的研究開発制度など、法整備や税制度など既に支援が一部進められている分野に劣らず、検討すべき対象分野があります。
 ベトナムも中所得国入りを果たし、直近では弊社以外にも多くのサービス企業がベトナム進出を進めています。日系企業のベトナム進出を促進し、またベトナムとの持続的な絆な構築に向けても、日本政府にはベトナムへのソフトインフラ輸出にも目を向け、また在越の日系民間サービス企業の有効活用を視野に入れてもらえればと思います。

果たして経営の現地化は進むか

 90年代後半、世界経済の3つのシナリオというのを目にしました。世界経済は大国のもと一様化するという第一のシナリオ、少数の強国に収れんされるという第二のシナリオ、そして複数の国により混沌化するといったものです。ソ連崩壊後の安定した経済化の当時は、当然のごとく第一シナリオが有力に感...