2021年6月7日月曜日

「辞めていく」人材、「辞めてもらう」人材への備え

 ベトナムに合った人事制度についてのセミナーを開催させていただき、多くの方に参加いただきました。また、周りを見回しても昨今は人事制度がらみの話題が多く、各社の関心の高さが伺えます。
今回は、筆者の人事制度関連の経験から、人事制度構築・改訂に向けた課題提起をしたいと思います。

□ 「辞めてもらう」人材にまで気が回らない?

 人事制度に関するお悩みを伺うと、概ね各社共通して「実績・実力に応じて客観的・公正に評価し、昇給・昇格の判断をしたい」との期待をいただきます。一方で、会社の人事データを拝見すると、次のような状況がよく見られます。1.同一等級に長期滞留した人材が多い。2.立ち上げ時に入社した古株人材の給与水準が飛びぬけて高くなっている。3.等級間で給与が逆転している人材がいる。
 人材の流動が激しいベトナムですから、各社コア業務を担う人材のつなぎ止めに苦心される一方、引き留め対象とならない人材の継続した昇給と滞留が見過ごされてしまうためでしょうか。こうした状態が続くと、滞留・高給与人材が給与原資を圧迫し、期待する人材に多くを振り向けられない。実力と異なる給与格差に従業員の不満が募る。古株が社内で大手を振り、古いベトナムの考えに社風が染められるなどの問題が生じかねません。

□ 日本の人事制度は世界的にも特殊?
 日本でも中途採用が一般化し、役職定年などの制度が運用され始めていますが、まだまだ終身雇用に準じた人事制度のもと、緩やかな昇給・昇格と定年間近での役員昇進を行っている会社が多いように伺えます。
 日本以外ではとも言えますが、ここベトナムでも日本とは異なる就労意識・慣行となっており、日本との違いを踏まえた制度設計・人材経営が求められます。

▪ 人は自ずと辞めて行く
 日本は世界一と言える長期勤続習慣のある国です。就労者の約5割が10年以上同一社に勤務し、5年超を含めると7割にもなります。一方でオーストラリアは3年内で転職する就労者は3割超、5年内を含めると半数強となります。ベトナムでは、オーストラリアと同じ、もしくはそれ以上の転職傾向が見られます。

▪ 妥当な給与水準は存在しない
 ベトナムの就労人口は約5400万人ですが、うち民間企業に勤務する就労者は36%に過ぎず、外資系企業に絞るとわずか8%です。日本ではサラリーマンの年齢別平均所得などが自身の給与の高低を測る物差しとなりますが、ベトナムでは通用しません。採用支援会社や公的機関が提供する給与調査データは、賃金テーブル作成時の根拠として参考にできますが、ベトナム人材の納得や満足が得られるわけではありません。ベトナム人材にとっての妥当な給与水準は、外資系企業勤務に限らない、家族・知人・友人の裏経済を含めた所得水準との比較で決まります。

▪ 出世を急ぐベトナム人材
 ベトナムの経済成長が始まったのはアメリカからの経済封鎖が解除された1994年以降と思いますが、わずか20年予の間に大きな格差が生まれました。日本の10億長者の平均年齢は72.6歳とのことですが、資産3,000億を超えるビングループのブオン会長は51歳、ベトジェットのタオ社長は49歳です。ベトナム人材の期待は30代でマネージャ、40代で経営陣入り(もしくは独立)でしょうか。

□ 「辞めて行く」人と「辞めてもらう」人への備え
 日本とは異なるベトナムで人事制度を確立していくためには、まずは各社なりの人材経営の指針を固める必要があると考えます。
 自ずと辞めて行く人材については、人が変わっても仕事の質が変わらないよう、日本人が苦手な形式知化に本腰を入れて取り組む必要があります。一方で、成長が見込めない人材には辞めてもらう備えも必要でしょう。まま「いなくなると困るので」という声も耳にしますが、長期的に見てその人材が本当に必要なのか、会社と本人双方の将来の視点から考えたいものです。「成長しないこと」を理由とした解雇はできませんが、等級別基本給に上限を設ける・評価の結果として昇給しない、などは該当人材に対する離職勧告のメッセージとなります。
 また、将来を期待される人材には、より高いハードルを提示して動機づけるというのはいかがでしょう。期待を満たし、実績を上げられれば20代でもマネージャになれるなど、実力のある人材の早期の昇格を可能とすることで給与水準を高めることなく、若手優秀人材の期待に応えられます。
 日本的な人材経営慣行からか、「辞めてもらう」ことに抵抗感を感じる方もいらっしゃるようですが、人事は社長の仕事です。辞めてもらう勇気を持つことも社長の資質の一つかもしれません。

2021年5月31日月曜日

独立・解放・幸福

 トランプ氏が白人至上主義を擁護するような発言から、アメリカの価値観に合わないと批判されたり、安倍首相は「価値観を共有する…」と連呼したりと、何かと各国・各国間の価値観、その違いが話題となっているように感じます。もとより、ベトナム人材を活かし・育てる難しさも日本とベトナムの価値観の違いによるところが多いのですが、あらためてベトナムを代表する「独立・解放・幸福」から、日本とベトナムの価値観の違いを見てみたいと思います。

□ 「独立・解放・幸福」
 普段は気にもされないかと思いますが、「Doc lap(独立)- Tu do(解放)- Hanh phuc(幸福)」は全てのベトナムの公式文書の右上に記載された、ホーチミン思想の根幹を表す言葉です。日本で言えば、「国民主権 – 平和主義 - 基本的人権の尊重」にも相当するものでしょうか。
 ベトナムがホーチミン思想によって立つことは、2013年の憲法改正以前は前文にても謳われおり、2013年憲法では前文からは見当たらなくなったものの、依然として憲法文書の右上には「独立・解放・幸福」が掲げられており、第4条にて、ベトナム共産党のよって立つ思想として記載されています。
 ホーチミン思想の教育資料によれば、概略ではこの「独立・解放・幸福」は以下のように説明されています。
 「ホーチミン思想は包括的な思想体系で、ベトナムの革命に向けた本質的な課題に対する深い示唆である。それは、“国家としての独立、階級からの解放、人民の解放を指す”。革命に尽くしたホーチミンの人生と、ベトナムの独立・解放に向けた彼の願いは、“誰もが幸福で、衣食に足り、教育された人々”をもたらす」
 2013年憲法の前文においては、「富民、強国、民主、公平、文明」が憲法の目的とされ、ホーチミン思想を国全体の根幹思想としては捉えなくなったように窺えますが、2005年教育法は、ホーチミン思想を基礎に置くとされており、「Doc lap(独立)- Tu do(解放)- Hanh phuc(幸福)」は今しばらくはベトナムの中心的な価値観のままでいるものと思われます。

□ 「解放」の誤解が過剰な自尊心を生み、「幸福」は権利であるとの誤解を生む?
 ベトナムの独立戦争は、フランス・アメリカの傀儡政権から国を取り戻すという革命戦争であり、ホーチミン氏が被支配層の労働者・農民を決起し、また独立後に分断された民衆の意思統一を図るべく、独立・解放・幸福を旗頭としたことには頷けます。しかしながら、特に「解放」と「幸福」を革命思想的な理解のまま、ドイモイを経て市場開放・近代化を目指す今日にあてはめると、やや不協和音が生じそうです。
 「独立」:ご承知のとおり、ベトナムには軍があり、徴兵制があります。また、国家常務委員会においては有事の際の総動員または局地動員の決定を下す権限があると憲法74条に定められています。長く続いた他国からの支配に対する強い独立堅持の意思は続いています。
 「解放」:ホーチミン思想の中では「階級からの解放」と「人民の解放」という2つの解放が示されています。確かに、残業時間上限の拡大や定年年齢延長への国民からの強い反対に政府が決定を延期するなど、労働・農民層が社会の中心であるという価値観の表れが窺えます。また、「私の決意・決断を誰も止めることはできない!」という声をベトナム人スタッフからまま耳にします。「何びとも自分を批評・批判・抑制することはできず、自分の道は自分で決める」といった人民解放の表れでしょうか。ともすれば、傲慢で人の意見に耳を貸さず、自身の行動が他人を傷つけることも意に介さないベトナム人材も見かけます。
 「幸福」:やっかいなのが、独立・解放の結果として、「誰もが幸福で、衣食に足り、教育された人々」をもたらすと説明されている点でしょう。「仕事を依頼すると、成果を出す前に報酬を要求する。毎年昇給するのが当たり前だと思っている」というのも良く耳にする話です。独立・解放を成し遂げた今日においても、独立・解放を堅持する限り、幸福(衣食や教育)は“与えられる”ものだと曲解している人がいるように思えます。

□ 異なる価値観を超えて、御社の価値観を打ち立てる
 異なる歴史を持つ日本とベトナムは、自ずと根底にある価値観は異なりますが、革新や発展・成長を求めるなどは、互いの価値観とも矛盾せず共有できるものです。他国民の価値観を否定するような価値観を持った会社はないかと思います。価値観の違いを認識したうえで、一方に偏ることがないよう、各社独自の第3の価値観を打ち立てたいものです。 一方で、行き過ぎた「解放・幸福」の価値観を持ったベトナム人材に巡り合うことも良くあります。こうした人たちは会社の価値観を差し置いて、自身の価値観で行動することが多いため、採用時には職務経験やスキルのみならず、態度や考え方などの診断もされることをお勧めします。

2021年5月24日月曜日

人はいるが、良い人がいないのが悩みどころ

 2009年頃には「1,000人募集しても40人しか集まらなかった」といった超売り手市場の状況もありましたが、直近は採用募集をかければ、それなりに人が集まるように労働市場の需給バランスが取れるようになってきました。しかしながら、離職者数の多さに比べ、採用時にはなかなか良い人が見つからないのが実情で、ベトナムには「人はいれど、良い人はいない」のではと頭を痛めてしまいます。

□ 年齢や経験を重視する落とし穴
 そんな中、ともあれ亀の甲より年の功、社会経験があればきっと会社のキーマンになってくれるだろうとの期待からでしょうか。日本でいう油の乗った40代以降を採用される会社が特に立ち上げ期に見られます。
 しかしながら、ともするとそうした方々はマルクス・レーニン主義が脳裏に刻み込まれ、先進国的な考え方についていけない、不正に手を染めやすい人材であるケースもまま見られます。
 アメリカからの経済制裁を解除に伴い、ベトナムへ外資が参入し始めたのが1994年。45歳以降のベトナム人材の大半はベトナム国営企業等で洗礼を受けた方々となります。日本企業が本格的に進出を始めたのが2006年。社会人になってより10年程度日本企業で経験を積んだ人はまだわずかです。ベトナムの教育法がやや近代化されたのが2005年。革命思想から離れた道徳教育がされてきた人たちは、まだ18歳以下というのがベトナムの人材状況です。

□ 更なる若手人材に期待し、育てる環境つくりを進めましょう
 各社が期待する「良い人材」とは、1.腕に覚えがあり、2.頭が冴え、3.人格者である人材かと思います。しかしながらそうした人材が市場に十分供給されるまでには、あと15年は必要そうです。全てが揃わないことを前提に、要員・採用計画を考える必要がありそうです。

1) 空席を埋めるための中途採用の高値掴みは避けたい
 核となるポジションの人材が突然離職して、慌てて採用を迫られるケースがままあります。そんな状況下では、飾られた経歴書の候補者を高い希望給与でついつい採用してしまいがちです。しかしながら蓋を開けると、能力もさほどではなく、次なる転職に浮足立っているジョブホッパーだったりすることもよくあることです。
 急な欠員が出たので仕方がない、との声も聞こえてきそうですが、案外離職予備軍は見つけられるものです。求職者の8割が求人サイトに登録するベトナムでは求職者を検索できる機能を持った求人サイトも多々あります。そんなサイトで御社名で検索をかければ離職予備軍が見当たります。また、慣れてくると、仕事の成果にムラがでる、帰省や私用による休暇が増えるなどの仕事ぶりから「あ。。この子辞めるな…」と感じ取ることもあります。

2) 内部昇進を優先したい
 急な欠員や、急ぎ体制を整えたいとの思いからか、特に管理者を中途採用で埋めていく傾向が伺えます。求職者も一段高い職位を目指して、特に立ち上げ期にある会社を好んで応募します(立ち上げ期は購買が増えるため、諸々うまみが多いというのもありますが)。しかしながら、「良い人材」の3点を兼ね備えた人材は各社も容易に手放すはずもなく、応募者の多くはいずれかに欠点がある人材と想定しておいた方が良いでしょう。
 ベトナムでは職務別の採用が一般的なことから、中途採用を中心とした方法に違和感を覚えるベトナム人材は少ないと思いますが、同時にベトナムでは一般的な「より高い職位を得るためには転職すべし」という風潮も会社に根付き、若手の昇進意欲をそいでしまうことにもなりかねません。最近は「上が詰まっていて昇進の余地がない」との声も受講生より良く耳にします。昇進候補生を育て、欠員時には内部昇進を中心に据えたいものです。

3) 若手を伸ばす環境つくり
 2005年の教育法の改訂も大きな一歩ですが、年々人材の質が高まってきているように思えます。
 視野の狭い上級管理者層の思考を変えたいと、教育のご依頼をいただくこともありますが、案外若手管理者層に成長の芽がある子が多くいたりすることもよくあることです。在籍している管理者層を前提に会社の将来図を描くと、潜在能力のある若手は去っていきます。
 改善活動やQC活動などの自主活動を通じて若手人材に成長と自己PRの場を与え、実力さえあれば上も追い越せるとの指針のもと、下からの突き上げを促すような人材経営をされても良いのではと感じます。
 弊社でも採用にはほとほと苦労をしていますが、総じて若い人の方が素直で飲み込みも早い傾向が伺えます。即戦力は喉から手が出るほど欲しいところですが若い人材を育てる環境つくりが意外に近道なのかも知れません。

2021年5月17日月曜日

ベトナム人材と教育

 ベトナム人材が報連相や主体的な活動に弱いと言うのは良く聞く話ですが、「学校におけるマスプロ教育」が原因と片づけられることにはやや違和感を覚えます。というのも、筆者の学生時代を思い出しても、学校で発表や討議の機会は少なく、先生が一方的に話した内容をノートに取り、ノートの内容で試験に臨むというのが普通の勉強スタイルだったからです。せっかくの機会と思い、ベトナムにおける教育の歴史を少しかじってみました。

□ ベトナムの歴史は従属の歴史
 ベトナムの歴史は「北属南進の歴史」と言われますが、紀元前より1850年代のフランス統治までの間、延べ約1000年、4度にわたり現中国(漢・隋・明)の支配下にありました。中国は統治の手段として仏教や道教とともに「忠君」の思想を中心に儒教を普及させたようです。
 フランスの植民地下においては、「フランスの行政・工場経営者・商業経営者そして植民者にとって従順な官吏、教師、通訳そして店員となる土民を訓練することである」との目的のもとに教育が行われ、おなじみのファン・ボイ・チャウをして、「亡国以前には良教育はなかったが、未だ奴隷牛馬たるの教育はなかった。亡国以後、良好の教育はもとよりフランス人の増加するところではないのみならず、日々に奴隷牛馬にする教育を強要したのである」と評される教育だったようです。しかしながらフランスの建設した教育施設はかなり数に限りがあり、一般人はほぼ無学であったようです。

□ ベトナムの独立と南北の統一

 第2次大戦の機を得て、ホー・チ・ミンが独立に向けて手本としたのが、ロシア革命にならったマルクス・レーニン主義です。ベトナムの独立・統一後も南部の思想改革のねらいも含め「ベトナムの教育制度は…優秀な社会主義労働者を養成し、将来の革命世代を育成することである」と1980年憲法にも革命思想は引き継がれていきます。ドイモイ後、1998年に教育法が成立します。「ベトナムの教育は、人民的、民族的、科学的、現代的な性格を持つ社会主義教育であり、マルクス・レーニン主義とホーチミン思想を基礎とする」とベトナムの市場経済化に向けた近代化が見られるようになります。その後2005年に教育法が改訂され、社会主義教育やマルクス・レーニン主義、ホーチミン思想に変わるところはありませんが、より実社会・経済ニーズへの適合が強調されるようになっています。

□ 教育は価値観共有の手段でもある。またれるベトナム人材の自主自立化
 日本でも1890年に発布された忠君愛国主義を旨とする教育勅語がその後の戦争への下地作りを進め、戦後1947年の教育基本法により、民主や平和・人類の福祉といった価値観を共有することとなったわけですが、言うまでもなく教育は世相を反映した価値観を国民が共有するための手段でもあります。
 日本から遅れること50年、ベトナムでは、市場経済を前提とした教育は1998年に始まり、教育の近代化は2005年から始まったともいえましょう。こうした点からは現代の日本人と近しい価値観を持った人材が社会で活躍するようになるには、後10~20年待つ必要があります。 


 話を戻し、日本人がなぜ報連相に長け、主体性を持った行動が取れるのかについては、私見ですが学生時代の部活動やサークル活動といった自治・集団活動が影響しているのではと感じています。絶対的な権限者がいない中で互いに意思疎通し合意形成をしていく活動が、他人を慮った各人の主体的な行動や思考の発達につながっていると思うのです。
 最近では、ベトナムでも学生の語学サークルやボランティア活動などの自治的な活動が見られるようになりました。これからのベトナム人材の主体性や説明力には大いに期待が持てます。

2021年5月10日月曜日

契約の詳細化と効力

 ベトナム居住の皆さんには、既に経験済みの方も多いと思いますが、ベトナム企業のサプライヤが契約を履行しないケースはよくあります。弊社事務所の引越に伴い、「金の切れ目を」迎えた業者があり、そうした業者からは「縁の切れ目」よろしく、敷金や担保金を返金しないという仕打ちを受けました。幸い被害は小さく収まったのですが、約束を重んじるいち日本人としては、なんとも腹立たしいベトナムの事業環境の現実を再認識させられました。

□ 約束は「朝令暮改」がベトナム流
 ベトナム要人とのアポイントに際してもよくある話ですが、面会の約束が直前になってキャンセルされることはよくあることです。多くのベトナム人材は短期視点で優先順位を考えるため、先回りして約束すればするほど、後で反故にされる可能性が高まります。そのためもあり、結婚式への要人の招待などは先方の優先順位検討の思考範囲に入る1週間前ほどに通知、何度も連絡して優先順位を高め、約束を取り付けます。
 どうにも、契約書についても同様の傾向がうかがえるようです。契約内容の履行を促すレターを送付すると、総じて「現状に即して考える。契約書は関係ない」と、日本人には理解のできない返答が返ってきます。
 日本人的には契約書は法的拘束力のある、契約当事者双方が権利・義務を負う約束事であるとの認識なのですが、ベトナム人的には「契約した時点では合意したが、今は状況が異なるので、契約書に従うのは不合理である」との理屈なのでしょう。

□ 契約書は最後の法的手段。証拠資料は正式資料として残す
 契約書に署名・捺印することの意義が理解されていないことは、甚だ未成熟な事業環境のベトナムの悲しい現実ですが、「契約書とは。。。」と演説をぶっても、ベトナム企業に契約の履行は期待できません。もとより、当事者の一方が契約書に従わない場合は、裁判所や仲裁所の判断を仰がなければ、契約書に強制力はありません。
 「外国企業とは綿密な契約書を作るべし」というのは多くの方が既に日本にて学んでいる常識ではありますが、残念ながら緻密な契約書を作れば、紛争が防げるというものではなく、緻密な契約書はいざ裁判や仲裁となった段になって役に立つ、頼みの綱です。また紛争解決が最終的には裁判や仲裁によらざるを得ないことを鑑み、契約履行に関する相手方とのやり取りはできるだけ文書で取り交わし、証拠書類として残しておくことが必要です。公式文書の書き方のわからないベトナム企業は担当ベトナム人の携帯に直接電話をして、罵声を浴びせ、脅すこともありますので、通話内容を録音する準備もしておくべきでしょう。

□ 生じうる紛争を想定して契約書を作る
 まだまだ裁判や仲裁が紛争解決の手段として一般的でないベトナムでは、一般の事務スタッフは契約書の意義も理解していないことが多くあります。既に十分な様式が容易されていれば幸いですが、様式を一から作らせると、「物品Aをxx個、xx日までに納品する」といった注文書のような契約書ができてきます。
 契約書が意味をなさない現実を知るベトナム人材には、手の込んだ契約書を作ることを面倒がる節もありますが、もとより契約書は紛争の早期解決を目的として作るものと理解を新たにし、「もし違う部品が納品されたら。。。」「もし数量不足が生じたら。。。」「もし納期遅延が起きたら。。。」と、いわゆるWhat if分析を駆使して契約書を作ることを進めたいものです。
 ベトナム企業が契約書を法的拘束力のある合意事項を表す書類だと理解し、尊重することが理想ですが、残念ながら現状は、まだ外国企業に取って十分に仕事がしやすい事業環境には至っていません。日本のような少額裁判制度や行政による指導を進め、いち早く外国企業が安心してベトナム企業と仕事ができるような環境が整うことを期待します。

2021年5月3日月曜日

目的と目標

 弊社のベトナム人材への指導にあたって、筆者が一番多用している質問は「目的は何?(Mục dich la gi?)」でしょうか。新任赴任者向けのセミナーにて、「仕事の目的を念頭に作業をする」といった話を披露したところ、セミナーにオブザーバ参加していたベトナム人から、「依頼者に失礼になるので、ベトナム人は依頼者から指示された内容に疑問を持たず、言われた通りにするのです」とのコメントをもらいました。
 やはりベトナム人材と日本人材では、「仕事をする」ことの意味の捉え方に違いがあるようです。

□ 盲目的な「上意下達」がベトナム流
 先日、業者への業務依頼にあたり、業者との契約書を弊社のスタッフが持ってきました。

部下:「社長(Sep)、業者が公式領収書を発行するのに契約書が必要なのでサインしてください」
筆者:「ちょっと、待って。領収書発行のために契約書が必要なのではないでしょう?契約書の目的は何?」
部下:「だから、公式領収書が必要なので、契約を結ぶ必要があるんです。。。」
 伝統的なベトナム人の就業感が、家族企業の経営者にあれこれ指示されることを、ただ盲目的に実施する使用人的な感覚だとは、以前より何度か本コラムにも書かせてもらっています。これに加えて、いざ依頼した「作業の目的」はなに?と、問うとなかなか回答できないケースや誤答が返ってくるケースもままあります。

□ 顧客視点から目的を策定する
 先月は「作業の計画立案」の研修講座をベトナム人材向けに開催しましたが、講座の演習にても受講生が「作業の目的」を見誤っている例が見られました。例えば、「ウェッブサイトを構築する」作業の目的を「ウェッブサイトを期日までの構築し終える」と定義してしまうようなケースです。こうした目的の定義をしてしまうと、いわゆる手段の目的化がされてしまい、本来依頼者(顧客)が期待する、「ウェッブサイトを通じた集客」といった目的を果たすための施策を全く考慮せず、ただウェッブサイトを構築して作業が終わり、となってしまいます。
 作業計画立案の第一歩は作業の目的の定義となりますが、まずは作業を依頼するには目的をどのように理解しているか確認すること、また目的を定義する際は顧客(もしくは依頼者)の視点から定義することを指導していきたいものです。

□ 目標は目的の達成度を測る評価指標
 目標(mục tieu)には比較的慣れ親しんでいるベトナム人材も多いように思います。しかし、目標に目を奪われ、本来の目的に気づいていないケースもまま見られます。例えば、「コスト削減:10%」といった目標があると、購買部の担当者は「業者と値引き交渉する。より安い業者を探す。」といった施策を提起してしまうケースです。本来の経営者の思いは「会社のコスト体質の強化」であっても、ひたすら目標達成に向けて、業者たたきに終始してしまいます。
 目標には必ず目的があり、むしろ目標は目的の達成度を測るための指標であり、目標を達成しても目的が果たされないのであれば意味をなさない。ということはしっかりと伝えておきたいものです。また、とかく目的が見過ごされがちですので、目的を明示するとともに常に目的を意識させていくことが大切に思います。

 「言われたことをするだけではなく、主体性を持って仕事に取り組んで欲しい」。経営者の皆さんから良く聞かれるベトナム人材の成長への期待です。主体性を持った仕事の第一歩は正しい目的の理解となります。皆さんも「Mục dich la gi?」を活用されてはいかがでしょうか。

2021年4月26日月曜日

学び方を学ぶ

 数年前、ハノイ市内の大学が日本式学士課程を立ち上げるというので設立式典にお邪魔しました。式典はさておき、質疑応答の時間に他大学のベトナム人先生より、「ベトナムの教育は知識偏重で、考える力が養われておらず、実務で役に立たない。本課程ではどのように考えるか」と、なかなか鋭い質問があがりました。
 残念ながら担当者は質問者の意図が理解できなかったようで、「本課程は実務に沿った、実社会で役に立つ内容とします」といった、まとはずれな回答となっていましたが、ベトナムでの教育に問題意識を掲げるベトナム人もいるのだと関心するとともに、そうした問題意識がまだ一般的ではない現状が見て取れました。

□ 「能力=知識×経験」がベトナム流
 「応用力が弱い」そんなコメントも当地の日系企業経営者よりよく頂きます。弊社の研修講座でも、皆さん一生懸命にメモを取るのですが、思考をめぐらす様子はあまり窺えません。受講者に考えさせようと質問に質問で返すと、「私が質問しているので、答えてください」と安易に答えを望む傾向もみられます。
 ベトナム人材に「優秀な人とはどんな人?」と問うと、「専門知識をたくさん持っている人」や「経験豊富な人」といったような回答が多くあり、「能力=知識×経験」の方程式が見えてきます。また「頭の良い人とは?」という問いには「すぐに答えが出せる人」といったように、いわゆる「頭の回転の速い人」が頭の良い人との理解があるようです。
 まとめると、外部から与えられた知識や経験を吸収し、すばやく引き出すことのできる人が能力の高い人、といった定義となりましょうか。残念ながら、発想力や洞察力、構想力などといった、外部から与えられるものではなく、自ら生み出す力については、まだあまり着目されていないのが現状のようです。

□ 学び方を学ぶ
 いわゆる、勉強は得意だが学習が苦手と言えそうなのがベトナム人材でしょう。よく見られる課題は、自身の発案に自信過剰となってしまったり、思考が浅く陳腐な発案となってしまうことでしょうか。
 「勉強」は知識や経験を蓄えること、「学習」は知識や経験を受けて行動や判断が変わること、とも言われます。まずは学び方を身に付け、頭でっかちの物知りになるのではなく、より良い行動・判断ができるよう自分自身を変えていく、学習ができるようになって欲しいものです。

- 無知の知
 勉強好きの成果か、勝ち得た知識について絶対の自信を持ってしまうことが思考を妨げる障壁なります。また自身の考えに固執し、他人の意見に耳を貸さないベトナム人材もままおり、こうした人材には正直お手上げです。
 「金槌しか道具がないと、全ての問題が釘に見える」と言いますが、自身の持っている知識に慢心せず、まだまだ知らないことの方が多いということを念頭に、「知らないということを知ることが、知ることの始まり」という姿勢で、新たな知識や他人の意見に耳を傾けることに貪欲になって欲しいものです。

- 視点・視座・視野
 日々の業務で常に提案をするように働きかけると、自分なりに考えて提案してくれるのですが、あっさりとは承認できないことがままあります。多くは考える際に考慮点がかけており、「その案だと後々問題が起きるよね」と指摘すると、「あー。そうですね。思いつきませんでした」となり、再提案を繰り返すうちに諦めてしまうというオチとなります。
 視点(異なるものを見る)視座(異なる立場から見る)視野(広く・長く・深く見る)とも言いますが、常に多面的にものを見る習慣を身に付けたいものです。

- 仮説検証
 他人の意見や批判に耳を傾け、様々な視点・視座・視野から検討を繰り返すのが思考のプロセスですが、思いついたままのアイデアを最終案として結論付けてしまうことが課題です。自身のアイデアはあくまで仮説であり、検討を繰り返しアイデアを検証、誰もが納得できるアイデアに磨き上げる思考のプロセスを身に付けたいものです。

 知っている知識に基づいて、質問に即応的に回答するスタイルが常套のベトナムでは、まだまだ「考える」という作業は真新しいものに感じます。「勉強」から「学習」へ進化し、知識に頼るのではなく自身を磨くよう、学び方を学んで欲しいものです。

2021年4月19日月曜日

決め方を決める

 顧客クレームへの対応や新製品の導入時など、部門間での会議で結論が出ずに、日本人管理者に判断を求める。よく伺う会議や議論におけるベトナム人材の課題です。
 もとより値段をふっかけている土産物屋を除き、一般の商店では「嫌なら買うな」とでもいいたげな店主の交渉の余地のない態度を見れば、推して知るべしともいえる状況かと思います。

□ 上意下達の意思決定がベトナム流
 親族経営が中心のベトナムでは、経営者がすべての決断を下し、従業員は盲目的に指示に従うだけというのが一般的です。従業員は経営者に求められれば意見は言いますが、あくまで決めるのは経営者で、経営者の判断が気に入らなければ会社を辞めるか指示を無視するかです。ともすれば、上司ではあっても雇われの管理者には決定権もなく、もしくは経営者の判断で容易に決定が覆るため、従業員も管理者を飛び越して経営者の顔色をうかがいます。
 また、市場経済が導入されて間もないせいでしょうか。先の商店主のように一般には交渉や妥協をするような習慣はなく、一方の提案に他方はYESまたはNOを返答する、合意に至らなければそれでおしまい。というのが通常の取引の仕方です。むしろ、交渉しようとすると「騙そうとしているのではないか」と嫌な顔をされます。

□ 決め方を決める
 上記のような状況から、ベトナムにおける対等な個人間での合意形成は、互いを慮り、着地点を見出そうとする日本的な集団的意思決定とは対極的、もしくは未知の世界ともなります。
 このため、全当事者が納得できる案を自ら導けるようになるには、議論に参加する人たちの考え方や議論の仕方を一から教育、磨き上げていく必要が出てきます。

- 議論の目的を明確にする
 ベトナム人材のよくある未理解の一つは、議論の目的を明確にしていない点です。議論の目的を「議論すること」としたり、「対応案を選ぶ」とするなど、議論そのものが目的化、もしくは異なる意見のいずれかを選ぶ、と考えていたりします。
 「顧客の満足を高める」など、議論の目的を、全当事者に共通する具体的な目的として定める必要があります。

- 意見ではなく論点に注目する
 先にあげたように、議論の場では各当事者の意見に賛成か反対かを述べるだけにとどまることが良く見られます。このため、議論の場が意見の押し付け合いになり、容易に決裂します。
 新製品のテストのために「生産ラインを止めるか、止めないか」といった意見にとらわれるのではなく、意見の背景にある、「ラインを止めると残業が増える、至急のオーダが入っている」など論点に注目し、論点を解消するアイデアを生み出すことで合意に結び付ける議論の仕方を身に着ける必要があります。

- アイデアは吟味するのではなく、積み上げる
 一つアイデアがあると、ああでもないこうでもないと賛否の応酬が続くのもよく見る光景です。自身の考えに執着し他人の意見に耳を貸さないベトナム人材の最も克服が困難な課題かと思います。
 他人のアイデアに耳を傾け、どうしたらより良いアイデアとなるか、アイデアを加え・積み上げる。それが理想ですが、なじむまでには努力と忍耐が必要です。

- 議論のルールを定める
 中には、自身に不利な議論には参加しない、結論が出ても従わない人もいます。
 会議が招集された際には必ず参加すること、皆で決めた案には従うことなど、議論のルールを社内で定める必要がある場合もあります。

 現地化・自立化に向けて、社員の主体的な意思決定を期待したいところですが、特に対等な個人間での合意形成はベトナムでは容易ではありません。議論する習慣も少ないことから、まずは「決め方を決める」ことから始めていく必要を感じます。

2021年4月12日月曜日

変わっていくもの、変えていくもの

 今年も年度替わりの時期を迎え、帰任や赴任の声を多く耳にするようになりました。筆者は帰任などの予定はなく、いよいよ在越15年目を迎えます。親しくなった方とのお別れの時期でもありますが、赴任される方との新たな出会いに巡り合う時期でもあります。今回は、ベトナムというアウェーの地で新たに経営に当たられる、赴任者の方に向けてエールを送りたいと思います。

□ アウェーの地で日本的経営の理念を叫ぶ

 洪水のようなバイクの流れや路上に溢れるゴミなどは、ベトナムのような途上国での経験の浅い方にとっては「なんと常識のない国」と呆れざるを得ない光景でしょう。しかしながら、未だに混とんとも見えるベトナムの日常は15年前に比べれば、格段に進歩を遂げています。以前は7割のドライバーは信号を無視していましたが、今は2割程度に減りました。タクシーの運転手も「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えるようになっています。15年前は想像もできませんでしたが、他国と変わらずベトナムも時代の流れに沿って変わっていくものも多いのだと実感します。
 赴任先としての人気も高まりつつあるベトナムでは、行き届いたサービスアパートに住み、日本語のできる運転手とともに会社に迎い、日系の取引先と商談・日本語のできるスタッフを介して指示を出し、日本料理屋で夕食を取り、週末は日本人の仲間とゴルフをすれば、あたかも日本で仕事をしているような感覚で過ごすことも可能となってきました。ところが、うっかり気を緩めていると、信頼するスタッフの突然の離職や、役所からの理不尽な要求、親玉従業員による会社の乗っ取りなど、ここはベトナムであると、はたと目を覚まされる仕打ちに会うこととなります。
 良く耳にするのが、「こんな事は、日本ではありえない」という言葉です。当然ですがここはベトナムです。在越邦人は1万5千人ともいわれますが、ベトナム人口の9千4百万人に比べれば、日本人は6,200人に1人。日本で言えば、町で唯一の日本人といったマイノリティです。また、ベトナムの労働人口は5千4百万人ともいわれますが、外資系企業に勤めている人は8%程度ですので、5千万人は外国企業での仕事の仕方など知る由もありません。
アウェーの地で経営に当たっているという意識は常に念頭に置いておきたいところです。

□ 変わっていくもの、変えていくもの
 第3次インドシナ戦争を含めれば、ベトナムが戦争から解放されたのは1990年以降。現在の30代以前のベトナム人材が戦後世代となります。確かに最近の新卒者は考え方もあか抜け、ベトナムの豊かな成長を期待させます。しかしながら、こうした人たちが世相の中心となり、先進国と同様の価値観が当たり前となるには、まだあと30~40年は必要でしょう。
 社会の発展とともに人も変わっていくベトナムですが、そうは言っても40年は待っていられません。積極的にベトナム人材を変えていかないと、伝統的なベトナム流の価値観・振る舞いに飲み込まれてしまいます。
 特に根深いのが、家族第一の価値観に基づく就業感や対人関係から生じるトラブルでしょう。ベトナム人材が日本のような会社人間になることはあり得ませんが、組織の一員として使命感を持って働くように方向付けをしていくことは可能です。

- 会社は従業員の協働の場
 ベトナムでは、国営企業も含めて親族経営の企業が多く、一般の従業員は経営者の指示に従って手足として働く使用人のような就労意識を持っているケースが多くあります。
 積極的に経営に参加し、主体的に発案・行動して協働体としての企業価値を高める従業員への期待は明言したいところです。

- チームで働く
 ベトナムでは、上意下達の指揮命令系統のもと、職務を細分化して各人が個人として仕事をするのが一般的です。
 組織において優秀な人とは、個人として優秀なのではなく、チームを成功に導ける人だという期待も明言したいものです。

- 仕組みで仕事をする
 世界的にも稀有な日本の終身雇用を前提とした仕事の仕方は、属人的な業務運営を導きがちです。ベトナムは他国と変わらず、人材は流動します。流動するベトナム人材は、後任の苦労など慮るはずもなく、経験や知見を雲散霧消にして職場を去ります。
 人に依存せず、仕組みで仕事をする体制作りを進めましょう。仕事を手順に落とし込む、情報を集約するなど、個人の経験や知見を会社の財産として蓄える作業を日常業務に織り込んでいきたいものです。

 他にも、新しく赴任された皆様には日々新鮮な驚きがあろうかと思います。人は変われど安定して成長する会社は、朱に交われば赤くなる風土が確立されている会社のようです。赴任ミッションだけでも大変な日々と思いますが、長期的な拠点の成長に向けて、日本的経営の理念を叫び続けていただきたいとエールを送ります。

2021年4月5日月曜日

理由か原因か?

 ミスを指摘すると、言い訳が止まらない。よく耳にするベトナム人材の課題です。また、問題の原因を問うと「作業者が注意をしていなかったため」「手順書に記載がなかったため」といった言い訳めいた分析結果を回答するケースも良く見られます。弊社の研修講座の中では、こうした間違いを指摘する際に「それは原因ではなく理由でしょう」とコメントします。すると、受講生は比較的すんなりと間違いを受け止めてくれるようです。

□ 理由と原因の違い
 理由と原因の違いを説明せよと言われると難しいのですが、理由と原因が異なる意味合いの言葉であることは誰もが理解するところでしょう。ベトナム語でも理由(lý do)と原因(nguyên nhân)では異なる表現が用いられ、意味合いの違いは日本語の理由と原因の違いに似通っているようです。
 そこで、あらためて理由と原因の違いを少し調べてみました。
 辞書によれば、理由とは「物事がそうなった、また物事をそのように判断した根拠。わけ。子細。事情。」原因とは「ある物事や、ある状態・変化を引き起こすもとになること。また、その事柄。」とのことです。
 辞書の文言を見るだけでは大きな違いは見られませんが、ひとつ着目すべきは、理由には「判断した根拠」が含まれることでしょう。「お腹が痛いので会社を休む」といったように、「お腹が痛い(理由)」状態を判断した結果、「会社を休む(行動)」といったように使われます。
 次に英語で理由(Reason)と原因(Cause)の違いを調べてみると、わかりやすい説明がありました。“A cause is the one that produces the effect. On the other hand reason refers to a thought or a consideration in support of an opinion.(原因は結果を生み出す要因。理由は意見を正当化する考え)”。
 ベトナム語では原因と理由の違いの説明は見つからず、辞書を見ると、理由(lý do)は“Điều nêu lên làm căn cứ để giải thích, dẫn chứng(意見の根拠や証明)、原因(nguyên nhân)は”Điều gây ra một kết quả hoặc làm xẩy ra một sự việc, một hiện tượng(結果や事象・現象を引き起こすもの)“となっており、日本語や英語と同様の意味合いの違いが見られます。
 上記から問題解決などの仕事で多く用いられる理由と原因の違いは、理由が「主観的な説明」原因が「客観的な事実」とでもいえましょうか。

□ それは「理由」か「原因」かを問い、原因究明を促す
 一般にもベトナム人材は日本人と同様に「理由」と「原因」の違いを理解しており、「それは原因ではなく理由だろう」と指摘するだけで、間違いに気づいてもらえる場面も多くあります。
 本人が気づけない場合には、「手順書に記載がなかったから不良が生じた」などの原因分析結果は、「では、手順書に記載がなければ、必ず不良が起きるか?(他の人は手順書に記載がなくとも正しく作業ができている)」と確認すれば、それが原因ではなく理由であることが判明します。また、たまに「原因がたくさんあり、問題が解決できない」という声も良く聞きますが、これも正しくは「原因となる可能性がある要因が」たくさんあるであって、問題を“実際に”起こした原因がたくさんあるわけではないと説明すれば理解できるかと思います。 自身の分析結果が原因ではなく理由であることが理解されて、次の課題は真の原因探しですが、これが容易ではありません。以前の記事にても記載しましたが、「さて、どうして問題が生じたのか」と考えても答えが出てきません。多くの場合、実際に問題が生じた状況や作業者の作業内容などの実態を知らない場合が多いためです。「分析」というと高度な能力が求められるように思われがちですが、やはり大切なのは「現地・現物・現実」なのでしょう。

果たして経営の現地化は進むか

 90年代後半、世界経済の3つのシナリオというのを目にしました。世界経済は大国のもと一様化するという第一のシナリオ、少数の強国に収れんされるという第二のシナリオ、そして複数の国により混沌化するといったものです。ソ連崩壊後の安定した経済化の当時は、当然のごとく第一シナリオが有力に感...