2020年11月30日月曜日

人事評価制度を現地化しましょう

 人材育成とも大きく関連することから、会社様から人事制度についてのご相談も良くいただきます。様々な会社様からのお話や、弊社でベトナム人評価者向けの研修などを実施した経験から、特に人事評価については各社に共通した課題があることが見えてきました。今回は、そうした課題の解決に向けた人事評価制度の現地化について考えたいと思います。

□公正な評価が行われないのは、ベトナム人管理者だけの問題か
 人事評価者研修などの依頼をいただくきっかけとなるのは、まずはベトナム人評価者に関する問題です。
 よく耳にするは、「評価結果がインフレする」「評価を使って部下を手なずけようとする」「人によって評価のバラツキが大きい」などでしょうか。
 確かに師匠と弟子のような日本的な上下関係のないベトナムでは、管理者は評価に慣れておらず、評価の目的を給与査定のみと捉えて、ともすれば部下との軋轢を避けるために部下の満足のいく評価を与えがちです。しかしながら、こうした誤解は評価の意味や目的が、むしろ部下の成長に向けた改善点や成長への期待の把握にあることを説明すれば理解はできます。
 一方で、評価者研修などを通じて浮かび上がってくるのが、会社の制度上の問題です。
目標管理制度を導入しているものの、目標設定の方法・手法についてのガイドラインが不足しており、目標に「期日どおりに請求書を発行する」などの日常業務が記述されていたり、一方で「10部品の現地化を進める」といった会社施策的な目標が混在していたりします。また、日本の評価基準のコピーや、経験の少ないベトナム人担当者が作成したと思われる、「仕事の完遂に最善を尽くす」「問題を速やかに解決する」といった主観的にならざるを得ない項目が評価表に掲げられていたりもします。
 こうした、曖昧な重み付けや評価基準のもとですと、各ベトナム人評価者は各々の主観的なモノサシを持って部下を評価するようになってしまいます。

□人事評価のPDCAが回る仕組み作り
 人事評価は期末のみに行われるものではなく、期初の目標設定に始まる通年の活動です。従って、期を通じてPDCAを回せる仕組み作りと運用が必要になります。
 まず大前提となるのが「職務記述書」です。役割のみが羅列された職務記述書をまま見かけますが、職務の果たすべき責任、期待される役割、持つべき能力が、各職務の違いを意識して記載されている必要があります。
 そして、各職務の遂行能力が測れる「スキルマップ」が管理スキル、技術スキル、人間スキルの観点から客観的に評価できる基準で定義されていることが望まれます。また、目標設定は各職務の内容に応じて、日常業務目標・改善目標・会社方針に基づく戦略目標や個人目標に区分され、職務レベルごとの難易度のガイドラインに基づいて重み付けがされるのが好ましいです。
 こうした仕組みを前提として、期初の目標の握り(P)にはじまり、期中の推進状況へのフォロー(D)、期末の評価とフィードバック(C/A)といったサイクルを運営していきます。
 運営上大切なのは、各人が設定した目標を達成できるように上司は日常業務を通じて後押しをすること、評価という機会を活用して上司・部下が互いに期を振り返り、反省とともに来期の目標達成に向けた改善点を識別することです。

□人事評価制度の現地化を進めましょう。
 人事評価制度のもう一つの課題は各拠点の日本人体制です。ほとんどの会社は少数精鋭の日本人で運営されており、人事専任の日本人を置ける会社は少数です。またこうした体系的な制度構築の知識や経験のあるベトナム人人事担当者を探すことは非常に困難です。
 ともすれば体力勝負にもなってしまう人事評価制度構築は、海外に通じた本社担当者の支援が得られれば良いですが、そうでなければ、仮に設計図は描けても構築まで手が回らない状態に陥ってしまいがちです。
 残念ながら、この課題への解は筆者もまだ見つけられておりません。少なくとも筆者の会社が支援できるように力をつけるとともに、各社の人事担当者を育成しつつ制度構築を進める方法を模索したいと考えています。

2020年11月23日月曜日

言葉の意味を合わせましょう

 ベトナム人採用候補者の履歴書が自画自賛の言葉で飾られていることは皆さん良くご存知と思いますが、不思議に思い何度か尋ねたことがあります。

筆者:「ここにハードワークって書いてあるけど、どういう意味?」
候補者:「仕事に集中して取り組むことです!」
筆者:「。。。。(それって、普通に働くことじゃないかなあ)」
筆者」「では、ここにプロフェッショナルな環境で働きたいとあるけど、プロフェッショナルとはどういう意味?」
候補者:「時間通りに会社に来て、サボらずに働くことです!」
筆者:「。。。。(それって、当たり前のことじゃないかなあ)」

どうにも同じ言葉を使っても、ベトナム人と日本人では理解に違いがあるようです。

□社会が異なれば、言葉の意味も異なる
 先の「プロフェッショナルな職場」という言葉については、もう少し深く聞いてみたところ、どうも当人は一般的なベトナム企業、役所と比較して「プロフェッショナル」という言葉を選んだようでした。
 確かに役人が朝はカフェで友人と歓談し、昼ごろ現れたと思ったら上役人の接待で飲みにでかけ、酔っ払って帰ってきたと思ったら帰宅する。概ね想像がつきます。
 もちろん当人に悪気はないのですが、言葉の背景にある社会環境や成熟度の違いから、言葉の意味も異なることが多いことには注意が必要です。

□言葉の意味を合わせましょう
 弊社が研修講座を実施する際にも、一般に誤解を生じている、もしくは理解が不足している言葉には注意を払って意味を共有するように心がけています。異論のある方もいらっしゃるかと思いますが、勇気を持って幾つか例を挙げてみます。
・「整理」をするとは、「要らないものを捨てる」ということですが、「要るもの=まだ使えるもの」と理解している場合があるため、「要らないもの=3ヶ月間使わなかったもの」など定義を明確にする
・「小さい問題はほっておけばよい」と考えがちなため、「小さな問題の原因が大きな被害を起こすことがある」と、事象ではなく原因に着目するよう説明する
・「対策を打つ」とは、問題の火を消し止めることだけではなく、問題の再発を防止することである
・作業は作業結果を提出すれば終わりではなく、作業結果が承認を得て終わる
・部下の作業結果に責任を持つとは、時間外までかかっても部下の作業結果を確認することである
・過ちを犯すことが過ちではなく、過ちを改めないのが過ちである
・「計画を作る」とは、期日を決めることではなく、作業を決めることである
・「期日を守る」とは期日までになんとかするのではなく、期日より前に終えることである
・「報告をする」とは言うべきことを言うことではなく、聞きたいことに応えることである
・「連絡をする」とは、伝えたかどうかではなく伝わったかどうかで評価される
・「勉強する」とは知識を吸収することではなく、知識をもとに発想することである
・「能力が高い人」とは知識や経験が豊富な人ではなく、すばやく知識や経験を活かせる人のことを言う
・「要点を明確にする」とは、話の内容をまとめることではなく、相手に期待する行動や意思決定を具体的に示すことである
・「チームで働く」とは互いに助けあうことだけではなく、チーム構成員の能力の総和以上の成果を出すことである
・「指導する」とは教えることではなく、できるようにすることである
・「原因を究明する」とは犯人を捜すことではなく、問題を生じたメカニズムを明らかにすることである
・「議論する」とは、意見を言うことではなく、案を提言することである
・「片付ける」とは、見えないところに物を隠すことではなく、問題が見えるようにし、問題を解決することである
・「管理する」とは、監視をすることではなく、監視が不要な仕組みを構築し、運用することである

□ハンドブック作成の進め
 これまで訪問させていただいた会社様には、会社の経営理念や社内で共通して使われる用語・単語について意味や目的を説明するハンドブックを作られているところもあります。
 日本でも言葉の受け止め方の違いが混乱を生じることは多々ありますが、ましてや社会環境や成熟度が異なるベトナムにあっては、同じ言葉を使っても期待するとおりに理解されないことは当たり前にあります。 普段当たり前に使っている言葉も、今一度正しく理解されているかどうかを振り返り、言葉の意味を共有して、ハンドブックを充実させていくことをお勧めします。

2020年11月16日月曜日

仕組みで育てる

 特に会社に伺っての社内研修では、弊社に教育のご依頼いただくのは、従業員規模150名超の会社がほとんどです。筆者の知見からは、機械加工の会社でベトナム人従業員70~100名に1名の日本人、組み立て企業では200名から最大で1,000名に1人の割合で日本人が駐在されているようです。1人の日本人が直接指導できるベトナム人の数はせいぜい20名程度まででしょうから、手に余る体制となって、教育の依頼をいただくようです。

□「学ぶべき背中がない」「部下を育てない」
 「子は親の背中を見て育つ」とも言いますが、確かに日ごろ日本人と接する機会の多いベトナム人管理者は日本人の背中から学んでいる点も多いようです。しかしながら、課題となるのは中堅以下の従業員で、学ぶべき背中もなく、また上級管理者からの教育を期待するも、「ベトナム人管理者が部下を育てない」という声を良く耳にします。
 「ベトナム人がベトナム人を育てないのは、自身の立場を脅かす存在になるのを恐れるため」とも言われますが、筆者の観察からはむしろ、「受身教育の中で、人に教える機会が少なく、一方的で曖昧な指示をするだけ」「プライドの高い部下が多く、指導を受けるとむしろ反発するため、教えることをあきらめてしまう」といった問題が存在するようです。教える側には教え方を、教えられる側には教えられ方を身につける必要があります。

□仕組みで育てる
 弊社の講師は大手の日系企業出身者となりますが、彼らから「もと働いていた会社は、何がすごいかといえば仕組みがすごい」と言われて、はたと気づかされたことがあります。もちろんそうした日系企業にはしっかりとした教育体系もありますが、特別な内容の教育をしているわけでもありませんし、教育に必要以上の時間を割いているわけでもありません。しかしながら、会社で生活をする中で自然と期待される行動が取れるように、随所に仕掛けが施されているわけです。以下に、幾つか例をあげてみましょう。

・朝礼項目に、互いに安全具の装着や靴のかかとを踏んでいないかなどチェックしあうことが盛り込まれている
・昼食場に向かうルートが線引きされ水道の前を通るため、手を洗わないと食堂に入れない
・トイレのスリッパの置き場・置き方が写真つきで明示されている
・不良品の発生時やヒヤリ・ハットの体験時など報告フォーマットや回付ルートが規定されており、自然とホウレンソウが実践されるようになっている
・改善提案が制度化されており、各月の提案目標や評価方法、昇進・昇給判断への反映方法が規定されている

□仕事の仕方の標準化
 「こんなことも教えなければいけないのか。。。」ベトナムで仕事を始めると、日本では当たり前だったことがベトナム人にとっては当たり前でないことの多さに驚かされます。文化も異なり、WTO加盟から15年も経っていないベトナムの人材はまだ無垢の状態と考えたほうが良いでしょう。
 多勢に無勢なアウェイの環境で、日本人が一つ一つ注意、指導をしていくには限界があります。当たり前のことを一つ一つ仕組みに落とし込み、自社流の仕事の仕方として標準化していく必要を感じます。幸いベトナム人材は、日本的な仕事の仕方に敬意を表し、多少複雑な内容でも苦もなくこなしてくれますので、仕組みが整えば運用は比較的楽です。 体力のいる仕事ですが、仕組みを積み上げていくことによって、駐在員が変わっても、またベトナム人材が流動する環境下でもぶれない仕事の運営ができるようになります。

 

2020年11月9日月曜日

日本のベトナム人材育成への貢献を考える

 人材育成という事業ゆえ、弊社の事業は日本政府のベトナム支援策とも重なることが多く、日ごろ日本政府の支援の動きについても目を配っています。今回は日系企業に勤めるベトナム人従業員の育成という観点からは少し離れるのですが、筆者なりのこれからのベトナム支援について私見を述べたいと思います。

□より戦略的な支援への変化
 ODAといえば、水道もない村で井戸を掘ったり、学校を作ったりと途上国の人道支援的なイメージがありましたが、昨今のODAの位置づけは変わってきているようです。
 近隣国が官民一体で途上国市場の開拓に進んでいる状況も受けてか、本来であれば中所得国入りしたベトナムではODA額は漸減しても良いところが、むしろ原子力発電所建設や空港建設、高速鉄道導入など、より積極的に戦略的パートナとしての位置を進化すべく支援が強化されているように見受けられます。

□ASEAN統合とのベトナムの展望
 当初は、「裾野産業育成」という題目のもと、より日系企業の進出を促進するよう、進出日系企業へのサプライヤとしてベトナム企業を育成するよう支援が進められてきました。しかしながら、観察するにベトナム政府は裾野産業育成の必要性は理解するも、ベトナム企業が裾野を担うのではなく、裾野産業に属する日系企業がベトナムにより多く進出することを期待しているように見受けられます。
 その後「ベトナム工業化戦略」として、自動車・自動車部品など日本が期待する産業分野も戦略対象産業として指定されるに至りましたが、直近では当地盟主のホアンザーライグループやホアファットグループ、ビンコムグループが相次いで農業への参入を表明するなど、もう一方の戦略対象産業である農水産加工に国内の事業者は目を向けているようです。
 最近でこそ継続して黒字化が果たせていますが、ベトナムは慢性的な貿易赤字国です。輸出加工型の外国企業の進出でかろうじて黒字化を果たせていますが、基幹産業である縫製については糸や布はほとんど輸入に頼っており、農薬などもほとんど輸入です。付加価値の低い加工分野を国内で行い、価値の高い原材料をほとんど輸入に頼っている産業構造の課題はベトナム政府も認識するところです。
 そんな中、ASEAN経済統合も既に開始され、まったなしの状況下では自国の基幹産業である農林水産加工を強化し、付加価値の高い原材料分野を取り込もうとするのは自然な流れと感じます。一方で、電子・造船(ベトナム国営企業は経営破たん)自動車などの分野はもとより国内基盤が弱く、外国企業の更なる進出により強化したいとの期待が透けて見えます。

□ベトナム支援に向けた私見
 先記のようなベトナム経済の展望が正しいとすれば、日本のベトナムへの支援のあり方もおのずと見えてきます。

・ ベトナム基幹産業への支援
 ベトナムの農林水産加工業は家族経営的な零細事業者が多く、協同組合や流通網も十分に機能していませんし、技術的にも日本の近代的な農業とは比べようもありません。既に一部支援は始まっていますが、技術協力や日本の協同組合、流通の仕組みなど、まだまだ支援分野には事欠きません。

・ インフラ構築支援
 産業の高度化に向けて、港湾や高速道路などの経済インフラの高度化は併せて必要です。特にこれまでは箱物の建築が中心でしたが、地下鉄の安全な運行管理や質の高いサービスの提供に向けて人材を含めたソフト面の支援が必要になります。

・ ASEAN経済圏を見据えた日系企業の進出促進
 日本の裾野産業がベトナムへの進出に二の足を踏むのは、ベトナムだけでは十分な需要がなく採算が合わないから、とういこともあります。こうした企業もASEAN域内の関税撤廃によりASEAN全域の需要のもとで進出を検討することができるようになりつつあります。
 一方で、タイは右ハンドルでベトナムは左ハンドルのため、陸送ルートである東西回廊はできたものの、国境を越えるたびに輸送車を積み替えなければならないなどお粗末な話も聞こえてきます。こうした分野でもASEAN経済圏のメリットを日系企業が十分に取り込めるための支援も日本政府には期待されます。

 ベトナム人材育成の支援も、上記の対象分野に沿って見極めることができます。 電話の進化の歴史を知らず、突然携帯電話が町に溢れて使い方に慣れていないのがベトナムの現状です。現代的な技術や設備の導入ともに、受け皿としての人材の育成が期待されます。

2020年11月2日月曜日

ベトナム企業との付き合い方

 ベトナムへの進出やベトナム市場の開拓のため、ベトナム企業との合弁や協業といった話題が絶えませんが、残念ながら成功例が聞こえてきません。筆者の経験からも、日本企業が一般に合弁先・提携先に期待する役割をベトナム企業に担ってもらうことには相当な困難を感じます。今回は筆者なりの経験から、ベトナム企業と付き合う上での落とし穴や心構えを考えてみたいと思います。

□「濡れ手で粟」「棚からぼた餅」がベトナムでの成功の常套手段
 市場開放後2009年頃までは、今まで値段もつかなかった土地の使用権に高額な値段がつき、不動産バブルでベトナムが賑わいました。人脈や運が味方して、土地を転がして巨額の利益を得たり、ビルの建設資材の輸入で一儲けしたり、外資系企業の工場建設に土地を提供して株を得たりなど、高級外車を乗り回す成金層が生まれたのはこの頃からでしょう。
 時折新聞報道では、フォーの人気屋台を昼夜にわたって運営して御殿を立てたなどの苦労人の美談も流れますが、多くの事業家や投資家は何の苦労もなく資金を得て、実経験もない部品工場などを儲け話に乗って経営しているのが実情です。

□日本企業を待ち構える落とし穴
 こんな背景で生まれたベトナム人経営層ですので、日本的な「損して得を取る」「信用第一」といった経営心情に馴染みがないのも不思議ではありません。合弁や提携といった際に、事業パートナーとして対等の役割を期待してしまいがちですが、先方は悪意なく期待を裏切ってくれます。

1. 汗はかかない
 上記のようにビジネスに苦労がつきものという発想が薄いこともあり、商品の販売などを依頼しても、店頭にならべるだけだったり、業者に見せて買うか尋ねるだけで営業努力は期待できません。店に並べたり業者に見せて売れなければ、「売れなかった」で終わりです。

2. 相手は企業ではなく個人
 大手の企業や国営企業が相手の場合、企業対企業の連携を期待しますが、ベトナム企業はあくまで個人の集合体です。例えベトナム企業側の代表の承認を得ていても、活動するのは担当者個人で、そのベトナム人の人脈や力量に成否の全てがかかります。他の従業員は見向きもしませんし、協力もしません。合弁先が有力企業を顧客に持っていても、別の従業員の担当であれば、まったく関係のない先と同じです。

3. 契約書もあてにはならない
 ベトナム企業も外国企業ですから契約書の作成など、日本より一層慎重になるべきですが、知恵を絞って合意した契約書も法廷で勝訴となるまでは強制力はありません。ベトナム人は時勢を見て都度判断・行動をしますが、契約書の合意内容に沿っているかどうかなど気にもしません。また、来るものは拒まずで契約しますが、都度儲け話があれば優先順位は瞬く間に変わり、契約はしてもまったく行動に移されないこともあります。

□おんぶに、抱っこに、肩車
 ベトナム企業との付き合い方で良く言われるのが、「おんぶに、抱っこに、肩車」という言葉です。対等のビジネスパートナとして合弁・提携の合意を取り付けても、それに甘んじてはいけません。全て自分たちで成し遂げるつもりで取り組む必要があります。

1. 合弁・提携先への期待を限定する
 合弁や提携は避けられれば避けたいところですが、独資での参入規制や許可の取得などのため、合弁や提携を避けられない場合もあります。その場合でも、ライセンスや許可の取得のためと割り切り、それ以上の期待を持たないことです。特に実績や経験、人脈といった形のない資産はあてにはできません。

2. 全て自分たちでやるつもりで
 「ベトナムのことは良くわからないので合弁先に任せたい」と期待しがちですが、蓋をあければ物事が進まない、合意した通りに進んでいない、などはよくあることです。初めから合弁・提携先に期待せず、体制を組んで自分たちだけで成し遂げるつもりで取り組むことです。ベトナムでの仕事の仕方など、努力すれば1年で概ねわかります。

3. 相手に花を持たせる
 形式や対面を重んじるベトナムでは「失敗」はありえません。合弁・提携したら必ず成功すること、最悪でも先方に花を持たせて「失敗した」と世間に見られないように気遣う必要があります。その意味でも実験的な取り組みにベトナム企業を主体に巻き込んで進めることはお勧めしません。

 

2020年10月26日月曜日

日本人が求心力

 2006年のベトナムのWTO加盟より日系企業のベトナムへの進出が加速してはや14年、労賃の安いベトナムでは日本人材の人件費が際立つこともあって、現地化の声が高まっています。「現地の事は現地の人に任せるのが一番」と誰もが考えることですが、特に幹部人材の現地化は一筋縄ではいかないようです。

□ベトナムの事はベトナム人が一番よく分かっている?

 ベトナムの事はベトナム人が一番よく分かっている。そう考えるのはごく普通のことでしょう。ベトナム人材の採用にあたっては、ベトナム人従業員に面接をお願いし、より良い人材を見極めてもらおうと期待します。しかしながら、いざ面接をしてもらうと「あの人は経理の資格を持っています」「3年間の経験があります」など、履歴書を見ればわかるような表面的なことばかり。「あの人はまじめに働いてくれそうかな」と聞くと、「私はあの人ではないのでわかりません」という始末。日本人同士でも人を見る目というのはそうそう身につくものではないですが、もとよりいつ裏切られても仕方のないベトナム人同士では、人を見抜くということにはそもそも諦めさえ感じます。少なくとも要職につくベトナム人材の採用面接には日本人も同席することが必須です。
 また、従業員の数も増えてくると、コアとなるベトナム人材に一手に部下を束ねてもらいたくなりますが、これも容易ではありません。民間企業が芽生えて間もなく、公務員か農民がまだまだ一般的なベトナムでは、人を束ねる立場につくベトナム人には相当の高学歴か、政治力のある家系か、相応の年齢が求められます。そうでないと、部下となるベトナム人は言うことを聞きませんし、もとより人間関係のわだかまりを嫌うベトナム人材は、人心掌握を期待しても積極的に部下とかかわり合おうとはしません。
 一般的に人を束ねられるベトナム人材は、先記の要件を満たしたうえで面倒見がよく、親分肌の政治上手な人ですが、そうしたベトナム人材に巡り合うのは至難の業で、これはと思うベトナム人材を根気よく育てていくよりなさそうです。

□日本人材が求心力
 かつての日本人が、アメリカ人とみれば優秀で人格者だと思ってしまったように、ベトナム人材は外国人、特に日本人には相当に高い下駄をはかせてくれています。日本人の意見であれば正しいものと思ってくれますし、ともすれば全ての判断が日本人に集中してしまうほど、信頼(もしくは責任逃れ)してくれます。
 そのため、日系企業では日本人が信頼できる権威者としての求心力となります。日本人が先頭に立ってベトナム人材をまとめていくとともに、これはと思えるベトナム人材に求心力を持たせるべく、働きかけていく必要があります。

1. 慶弔行事はかかさない
 結婚式にお葬式、はたまた子供の誕生日会など、年齢層の若いベトナム人従業員からのお誘いは絶えることがありません。しかも、2~3日前に報せがあることが悩みの種です。しかしながら、従業員からの信頼を裏切らないことと、従業員の両親に「お宅の子には期待していますよ」と伝える意味でも慶弔事への参加はかかせません。「休みなのになあ」と愚痴らず、出席することをお勧めします。旧正月前に全従業員の両親宛に社長自ら手紙を書いて持たせる会社もあります(旧正月後に復帰することを期待して)。

2. 日本人が手本となる
 ベトナム人従業員にしてもらいたいと思うことは、まず日本人が率先して行い、手本となることが必要です。朝はもとより廊下で従業員とすれ違ったら挨拶をする、床のゴミを拾う、現場に赴き従業員に声をかける、昼食を食べ残さないなど。ベトナム人従業員は日本人の振る舞いを見ています。カラオケでの武勇伝など、親しい従業員から尋ねられることがありますが、素直に答えないほうが良いでしょう。

3. これはと思う従業員を権威づける
 日本語が上手、気が利くなど日本人から見て使い勝手の良いベトナム人材に目をかけがちですが、上記のような日々期待する行動が自然にできるベトナム人材を候補として見据えるべきでしょう。ただ、そのままでは他のベトナム人従業員からの人望を得られるわけでもありませんので、意識的にそうした候補者を権威づける必要があります。重要な仕事の意思決定を任せる、「あの人に聞いて」など意識的に日本人経営者からの信頼を得ている、正しい仕事の仕方をしていると、他の従業員にアピールする必要があります。そうするうちに、「あの人のやり方を見習えば良い評価が得られる」と従業員の手本としての信頼が集まります。その上で管理者としての人格教育を施していくこととなります。

2020年10月19日月曜日

信用しても信頼しない

 昨年よりハノイでは現地化に向けたベトナム人幹部育成の要請が増えてきました。将来を期待されるベトナム人材が各社で頭角を現してきている状況は喜ばしい反面、幹部人材を決めうちで手塩にかけて育てている会社様には一抹の不安も覚えます。

□組織人としての就社意識を持つ日本人はむしろ特殊?
 ベトナムの離職率が高いことは言わずもがなですが、軽作業の工場でも通常で3~5%/月、重労働や高温・化学臭のある作業場所では5~8%/月程度の離職率になるようです。高い給与やポジションを目指して転職を繰り返すともいわれますが、ベトナムでは就職=一生の働き場所探しとはさらさら考えていないと思われます。
 もとよりベトナムでの就職は日本のように定期採用があり、入社式があるなど会社をあげての行事ではなく、会社内に空いたポストがあるごとに、家族から斡旋されたり友人から紹介されたりというのが一般的です。従って、当人も「会社に入る」というよりは、家族や友人の紹介をつてに「職を得る」という意識の方が高くなります。このため、当の友人が会社を去ると、会社に勤める理由を見失い、また居づらくなってやめていくこともあります。
 愛社精神や会社への忠誠心を従業員に持たせたいという要望もたまにいただくことがありますが、日本のように会社のために自分を犠牲にするとか、会社に尽くすという発想は日本に特有のものと感じます。儒教に根ざしたベトナムとはいえ、一般に職を求めるベトナム人材は極端に言えば、自身が職業を通じて十分な給与を得、成長・発展の機会を得ることのほうが、会社自体の成長・発展より優先すると考えていると思われます。

□家族が第1、会社は2の次
 「会社を背負って立つ幹部人材を育てたい。」どの会社も理想に描くことと思いますが、これが現実には難しい。弊社でも、天塩にかけた講師が「家業を継ぐことになった。これまでの経験を自分のビジネスに役立てたい。」と、あっさりと辞めていったこともあります。また、日ごろかわいがっていた従業員が反旗を翻してストの先頭に立つ姿に心を痛めて帰国した社長の話も聞きました。
 日本人は、家族をないがしろにしても組織を優先し、むしろ批判を浴びることもありますが、ベトナムでは家族が優先し、経済的にまたは家族に職を分け与えることにより家族を支えるという意識の方が強いと思われます。従って、自身や家族を犠牲にしてまで会社に貢献するということはまれですし、ましてや赤の他人の同僚や部下のために会社を背負って奮迅するというのは公開企業の経営者でもまれです。
 このため、給与が低いなどの不満で会社を辞めていくのはまだしも、将来を期待されるベトナム人材が、奥さんが辞めろといったから、両親が公務員の空きポストへ斡旋したから、親戚の商売を手伝うためなどといった理由で会社を辞めていくのは、日本人としてはなかなか理解ができないところです。
 一方で、日本人は会社を辞めるというと、ある種の罪悪感も感じるものですが、ベトナムでは同僚からの引き止めもなく、あっさりとしたものです。会社を離れても、個人としての付き合いは続きますし、他人の家族の問題のため感傷に浸ることもないようです。
 どうも、日本とベトナムでは会社と向き合うスタンスが異なるようです。日本的には会社に入社することは、苦楽を共にする会社の一員となることと期待してしまいますが、ベトナムでは苦楽を共にする家族の一員が家族を代表して会社に籍を置くといった違いでしょうか。 

 □「信用」しても「信頼」せず、人材の層を厚くする
 ともあれ、日本でもベトナムでも高いポジションに着くということは、より広い範囲での責任を負うということを意味し、自身のみならず同僚や部下を含めた組織の成果に責任を持つということに変わりはありません。
 また、与えられた役割・責任を一所懸命果たそうとするベトナム人材は、潜在力のある人であれば教育や指導を通じて見る見るうちに成長していきます。異なるのは、ベトナム人材の頑張りも家族の平穏・発展があってこそ、または家族の平穏・発展のためということです。
 「信用する」と「信頼する」の違いには諸説があるようですが、まさに将来を期待されるベトナム人材は「信用するには足りる」が「うかつに信頼してはいけない」ということかと思います。
 能力の高いベトナム人材は高い目標も達成できる、仕事の成果を「信用」できる人材ですが、部門や会社の将来を信じて任せられる「信頼」できる人材足りうるかというと、もとよりベトナム人材にとっての優先事項が異なるため、いつ突然の離職願いが来るか油断はできません。
 お勧めするのは、特定のベトナム人材のみに期待するのではなく人材の層を厚くし、期待される人材が突然離職しても次の候補が取って替われるように組織的に人材を配置・育成することです。特定の人材のみに目をかけるのは、嫉妬深い他のベトナム人材のやっかみを買うことにもなりかねませんし、当人の驕りを招き、家族や信頼できる人たちを回りに囲い、縄張りを作ることにもつながりかねません。

 「成果がでなければ、いつでも交代させるぞ」くらいの緊張感と、昇進・昇格競争の中で、やる気と根性のあるベトナム人材から手を上げてもらう、というくらいが調度良いのではと思います。

2020年10月12日月曜日

ベトナム人が3人で穴に落ちると…

 ベトナムの近代化が始まったのは1990年代から。20代半ば以前のベトナムの人たちは近代化の流れの中、若い人ほど日に日にあか抜け、心身ともに発展が見られるように感じます。一方で30代以降の人たちは年齢が増すにつれベトナムの伝統的な気質がうかがえます。どうしても年齢を積んだ経験者を採用せざるを得ない会社もあろうかと思いますが、一方でベトナムの伝統的な気質についても理解を進めたほうが良いでしょう。

□ベトナム人がは3人で落とし穴に落ちるとはまると助からない

 日本人についても「国際会議でインド人を黙らせるのと日本人に話をさせることほど難しいことはない」などと言われたりしますが、ベトナムでも自国民の気質を皮肉るような慣用句が多々あります。
 「ベトナム人が1人で穴に落ちても助かるが、3人で落ちると助からない」――。
 これは言わずもがなですが、3人で穴に落ちると互いに足を引っ張り合うので、誰も穴から抜け出せないという意味です。個人単位では優秀なベトナム人ですが、集まると成果を出せないということでしょうか。
 「ドイツ人は同僚が優秀な論文を発表すると奮起する。ベトナム人は同僚が優秀な論文を発表すると、選考委員になって落選させる」――。
 こちらも、互いに足を引っ張り合う例ですが、自分を高めるよりも相手を貶めることに注力してしまう気質が伺えます。
 「日本人は言ったとおりのことをする。中国人は言わずにする。ベトナム人は言ったことと違うことをする。」――。これは、弊社のスタッフが冗談で言った言葉ですが、なるほどと思わせました。
 こうしたベトナムの伝統的な気質は戦後の配給時代の物の奪い合いから生じたとも言われていますが、どうも戦前からも同様にベトナム人を評した慣用句があり、むしろ古くから根付いた気質のようです。ベトナム人は、こうした悪い気質を「Người Việt Xấu Xí:醜いベトナム人」と呼び、行動変化を呼びかけています。ベトナム語の本も出ていますし、インターネットでも様々な例が検索できますので、参考にされてはと思います。

□水面下での嫉妬とねたみのウェットな文化
 「ベトナム人は情に厚く、日本人にとって親近感を感じる」とよく言われます。確かに、ベトナム人は外国人とりわけ日本人には尊敬の念があり、にこやかにオープンに接してくれますし、不慣れなベトナム生活を送る日本人にとっては親切にしてくれるベトナム人は命綱でもあります。
 一方でしばらくベトナム生活を続けていると、ベトナム人が日本人以上にウェットなのではないかと考えさせられます。例えば、いつも昼食を一緒に取っている仲の良い二人組みの従業員から、「あの人は信用できないから気をつけなさい」と個別に告げ口を聞いたり、互いには言い合わないのに「あの人の給与が自分より高いのはおかしい」と自分の給与の増額を要求してきたりします。
 手を焼くのが、こうした嫉妬やねたみでの足の引っ張り合いが表面には現れず、水面下で行われていることでしょう。先の例のように日本人を利用して相手を貶めようとすることもままありますが、多くの場合はベトナム人は日本人を巻き込まずに水面下で互いの足を引っ張り合います。

□ウェットな文化だけに職場や仕事の成果の見える化で、ドライな仕組み作り
 こうした伝統的なベトナム人の気質も世代が若返るにつれて薄れてきていると感じますが、会社の中核人材が30代半ば以降となっている会社では軽視できません。挨拶を励行するなど、互いに心を打ち解けて話をする文化風土を作り出すことが長い目でみて重要ですが、短期的には伝統的な気質はそう簡単に拭い去れるものでもありません。
 特に会社において、ベトナム人材のウェットな気質で悩まされがちなのは、評価や昇進昇級といった最もベトナム人材の関心の高い話題でしょう。互いに相対的な位置関係を計っているベトナム人同士ですので、感覚的な座標に沿った評価が行われていれば問題ないのですが、一方が座標をはずれて高く評価されると他方は水面下で不満を持ちます。「自分は自分、人は人」といい聞かせても嫉妬心は消えません。
 お勧めするのは日本以上に職場や仕事の成果や過程を見えるようにすることです。結果さえ良ければ良いといったベトナム的な価値観と過程を重んじる日本的な価値観は必ずしも一致しないため、仕事の内容・良し悪しの判断基準、評価の仕方など徹底的に数値化・標準化し、感情の余地の入り込まない仕組みつくりが期待されます。 


 ウェットな文化に流されて、その場その場の同情心で判断をしていると、損得情報の流通のすばらしいベトナムでは、「あの人の場合は良かったのに、なぜ私は駄目なんですか」と、辻褄の合わせられない袋小路に追い込まれてしまいます。
 ウェットな文化だけにドライな仕組みつくりを徹底して行う。ベトナム人気質に振り回されないためにも重要な基本となります。

2020年10月5日月曜日

南北でベトナム人材はどう違う?

 「ベトナムは南北でベトナム人材が異なると言われますが、どのように違うのでしょう?」良くいただく質問です。先日、知人の会社の飲み会に招かれて参加したところ、ホーチミンより参加したベトナム人スタッフより「ハノイのベトナム人同士が話をしているのを聞くと、まるで喧嘩しているみたいです」と評していました。
 確かにベトナム人にとっても南北の違いは明白なようです。

□頑固だが気骨ある北部人、素直だが気変りの早い南部人
 皆さんご承知のとおり、ベトナムは南部と北部では気候も異なり、ベトナム人の顔つきも違い、ベトナム語のイントネーションや単語、言い回しも異なります。ベトナム人同士ですら、まま会話が成立しないこともあり、ハノイに慣れた筆者がホーチミンを訪ねると、床屋(北部ではカットック、南部ではホットック)に行くのも日一苦労です。
 筆者はハノイを主拠点としているため、北部からの視点となってしまうのと、長くベトナムにいる方も人によって見方が異なるため一概には言えないのですが、筆者が感じる南北人材の違いを簡潔に表すならば、「頑固だが気骨のある北部人、素直だが気変わりの早い南部人」となります。
 北部のベトナム人は概ね愛想がなく、外資系百貨店を訪ねても店員はニコリともしません。一方、駐車場の管理人など慣れ親しむと、雨が降った際には筆者のバイクを屋根の下においてくれるなど気配りのある対応をしてくれたりします。また、弊社のハノイスタッフなど、逆境に追い込まれるとむしろ頑張るため、意図的に仕事を多めに振って、チクチクいじめながら奮起させています。
 南部のスタッフはにこやかで穏やか、北部のように反抗することも少なく、比較的素直に指示に従ってくれます。一方、「親友です」と紹介されたベトナム人の近況を尋ねると、「あんな人は知りません」と打って変った返答をもらうこともあります。また、南部のベトナム人材は北部とは逆に、いじめられて奮起するというよりも、褒められてやる気になる人が多いように感じます。
 北部が堅苦しく、南部が開放的という風土の違いは概ねどのベトナム人も納得するところです。北部のベトナム人の多くは、南部への出張を好んで行く一方で、南部のベトナム人の多くは、道を聞いても冷たくあしらわれる北部への出張を好みません。北部への拠点展開などの際の南部人材の活用については、北部出身者を除き、留意が必要です。

□ベトナム人はベトナム人。課題は同じ
 上記のように、南部と北部では日本でいうところの東京と大阪ほどに違うのですが、弊社が人材育成の依頼をいただく際に経営者より伺う課題認識はほとんど変わりません。
 報連相ができない、問題への対応策が場当たり的、仕事の段取りが組めない、部下に指導できないといった課題は南部でも北部でも良く伺います。やはり日本と同様、土地は違えどベトナム人はベトナム人、知識や経験の積み重ねが少なく、家族中心の個人主義で他人の思いを図って行動することが苦手といった点は共通のようです。
 このため、こと教育に関しては、南部も北部も同じ内容、同じ手法で教育を進めています。しいて言えばやはり風土を反映してか、南部では比較的和やかな雰囲気で講座を進めるほうが好まれる感はありますが。

□歴史的背景と家族の出身地には留意する
 しかしながら、弊社が研修を行う際にも、言葉や風土以外に南北の違いで留意している点があります。皆さんご承知のとおり、ベトナムは北部が南部を吸収する形で統一を果たしたという点です。
 ベトナム戦争(アメリカ戦争)により、南部政府側の権力者のほとんどは海外に亡命し、南部の政治・経済は戦争中に流れ込んできた北部人と当時南部に住んいた北部政府支持の人たちで担われています。家族経営を除き、南部企業のベトナム人経営者には北部出身者が多く、「管理者には北部人を配置し、現場には南部人を配置している」などの話を聞いたこともあります。
 こうした背景のもとで、純南部出身者の中には現政府をあまり好意的に見ていない人も少なからずいます。一昨年に他界したヴォー・グエン・ザップ氏の国葬の日と、たまさか南北支社合同での社員旅行が重なった会社では、北部からは「全国民が喪に服すべき日に、華々しい行事は行うべきではない」という声があがった一方で、南部からは「それはそれ、これはこれ、大いに盛り上がろう」と、やや混乱をきたしたと伺いました。
 また、北部ではホーチミン氏の語録などを講座の内容で引用することもありますが、南部では注意が必要です。ホーチミン氏を悪く言う人はいませんが、南部ではホーチミン氏は現政府にうまく利用されていると考える人もいるようです。 南部は北部・中部・メコンデルタと多様な地域からの出身者が混在しています。特に政治や思想面では受け止め方の違いが出身地によって異なるため、従業員の両親・祖父母に遡って出身地を把握しておくことも必要と思われます。政治的な話題を評するのは、ある地域の方の賛同を得る一方、他方の強烈な反発を招くため、控えるのが無難です。

2020年9月28日月曜日

Why:なぜ、を問わずにHow:どうやって、を問う

 ミスの注意をすると言い訳ばかりで反省の色が見えない。問題解決のための原因究明を指示したはずが、いつのまにやら犯人捜しになってしまっている。良く聞くベトナム人材の成長課題です。
 ベトナム人特有のプライドの高さが原因と考えがちですが、理由はそれだけではなさそうです。

□「なぜ」は相手への不信感から出る言葉?
 弊社のパソコンが不調で突然シャットダウンしてしまうため、技術者を呼んだ時のことです。技術者曰くは、内部の電源装置を交換する必要があるとのこと。なぜ電源装置を交換する必要があるのかと問うと、電源不良で内部の冷却ファンが回ったり、回らなかったりするとのこと。なぜ電源装置とファンの間の通電に問題があるのが分かったのかと問うと。。。「どうして、なぜなぜ言うのか。自分の言うことが信じられないなら、自分で直せば良い」と気分を害して帰ってしまいました。
 どうにも、ベトナム人は「なぜ」を問われると、自分の考えが疑われている、自分が責められている、と感じてしまうようです。ベトナム人スタッフと外で昼食をとる際に、「ブンチャー」を食べようというスタッフに「なぜ」と聞くと、「嫌なら自分の好きなものを食べればいい」と言い放たれてしまいました。
 最近ではベトナムでも「コーチング」という手法が流布しはじめ、弊社でも講座を提供したことがあります。コーチングで用いられる手法に「質問法」があり、コーチングの相手に「なぜ」を問いかけることで、相手が自分で課題を分析し、対応策を立案することを助けます。目新しいコーチングの勉強自体はベトナム人の皆さんも興味深く勉強してくれるのですが、いざ演習を行うと自身に「なぜ」を問いかけるというよりは相手を説得できる回答を用意することに注力してしまいます。また、コーチングなど知らない人からの相談で質問法を適用すると、「私が相談しているのに、なぜ質問ばかりで答えてくれないんですか!」と相手を怒らせてしまうこと必至です。
 日本では、常に「なぜ」を自分に問えなど、より深く考えるための手法として「なぜ」が使われることがありますが、ベトナムではまだ「なぜ」は理由を問う、疑う以上の使われ方はしていないようです。

□“Why:なぜ”を問わずに”How:どうやって”を問う
 日本でも“なぜ”にこだわれと言われ始めたのは、日本が世界的な競争で頭角を現し始めた1960年代頃のことと思います。ベトナムもそろそろ思慮深く行動すべき時期にあるように思いますが、残念ながら一般にはまだ直感や家族・友人の勧めに身を任せるのが主流に思います。社会の自然な成熟を待つだけではなく、“なぜ”と自分に問うことを時間をかけて啓蒙していく必要はありますが、目前の事業を前に進めるためには、言い訳や犯人捜しではなく、再発防止の対策を打つ行動を促す必要が短期的にも生じます。
 筆者がお勧めする短期対策は「なぜ:Why」を問わずに「どうやって:How」を問うことです。ミスを犯した従業員に「なぜ」と問うても、「責めているのではなく、同じ誤りを繰り返さないようにして欲しいんだ」という気持ちはなかなか伝わりません。そこで、「なぜミスを犯したのだ」ではなく、「どうやったらミスを防ぐことができるだろうか」とHowを問うことで責めているのではないということが意識され、対策の検討に導くことができます。ただし、「ミスをチェックする人を増やせば良い」などミスの発生を前提とした短絡的な対策も出てきますので、「ミスを起こさないような根本的な対策を考えよう」と辛抱強く指導していく必要はあります。
 ベトナムでもQC(小集団)活動を進めている会社も増えてきましたが、社内のQC大会でベトナムチームがアジアでも上位に食い込む成果をよく伺います。改善施策などで日本人をあっと言わせるような発想もできるベトナム人材ですので、上手に活かしていく接し方も考える必要がありそうです。

果たして経営の現地化は進むか

 90年代後半、世界経済の3つのシナリオというのを目にしました。世界経済は大国のもと一様化するという第一のシナリオ、少数の強国に収れんされるという第二のシナリオ、そして複数の国により混沌化するといったものです。ソ連崩壊後の安定した経済化の当時は、当然のごとく第一シナリオが有力に感...